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2022.12.28
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八坂神社の西楼門

[八坂神社]の見どころを深掘り!知られざる魅力スポットをご紹介

京都・四条通りの突き当たりにある[八坂神社]は、全国に約2300社ある祇園信仰の総本社。主祭神に素戔嗚尊(すさのをのみこと)を祀り、平安時代の建築様式が残る国宝の本殿をはじめ、西楼門や石鳥居など多くの建物が国宝や重要文化財に指定されています。「祇園さん」として愛され、毎年7月に「祇園祭」が執り行われることでも知られている。今回はその「祇園さん」の見どころを深掘りしてきました。

1.まずは八坂神社のはじまりをおさらい

社伝によって、[八坂神社]のはじまりは2つの説が存在する。一つは656(斉明天皇2)年に来朝した伊利之(いりし)が素戔嗚尊(すさのをのみこと)を祀った説。もう一つは876(貞観18)年に僧円如(えんにょ)がお堂を建立し、同じ年に神様が祇園林に降り立った説。その後は[祇園社]として疫病を鎮めることで有名になり、王城鎮護の社として崇敬された二十一社に加列されたという。

2.シンボルの西楼門は移動した過去あり!?

[八坂神社]のシンボルとして多くの人が出入りする西楼門は、1497(明応6)年に建築された境内最古の建物で、重要文化財に指定されている。実は大正以前まではもう少し西南側にあったそう。
1953(大正2)年の市電が開通する際に四条通りが拡張され、現在の場所に移築された。旧門跡地には石碑が置かれているので探してみよう。

八坂神社

祇園のシンボルである西楼門

3.西手水舎で[八坂神社]の歴史に触れて

明治以前までは[祇園社]や[祇園感神院]と称されていたが、明治政府による神社と寺院を区別する「神仏分離政策」により仏教的だった名称が改められ、[八坂神社]を名乗るようになった。「八坂」の由来は、かつてこのあたりが「八坂郷」と呼ばれていたから。境内にある一つの石灯籠には「祇園社」、西手水舎の石甕には「感神院」の字が刻まれている。

八坂神社

西手水舎に刻まれている「感神院」の文字は明治以前の名称

1070(延久2)年の文書『太政官符(だじょうかんぷ)』には「東は白河山、南は五条(松原)以北、西は鴨川、北は三条以南」と記されており、かつては、現在よりもかなり広い範囲が境内として定められていたことが分かる。桜の名所として知られる円山公園も昔は境内だった。素戔嗚尊が桜を愛で託宣歌(たくせんうた)を詠んだことから、多くの人が繁栄を願い桜を植えたことで、現在のような桜の名所になったと言われている。

4.「祇園造」が残る国宝の本殿を巡る

平安時代の建築様式が残る貴重な本殿は2020年に国宝として指定された。
別々の建物だった本殿と拝殿を一つの大きな屋根で覆った構造で俗に「祇園造」と呼ばれ、その周囲を囲むようにいくつも部屋がある。また、北・東・西面の三方の屋根には伸びる庇(又庇 またひさし)が付けられているのも特徴。敷地内にある4つの摂社・末社[美御前社]、[日吉社]、[疫神社]、[北向蛭子社]の屋根も本殿と同じ又庇の形になっている。

八坂神社

本殿(国宝)

現在は漆喰で固められているため見ることはできないが、本殿の下に青龍が住むといわれている池があるそうで、「龍穴」と呼ばれている。
本殿の東側と神饌所※を囲む塀「透塀(すいべい)」は、木の地肌そのままの材木を使って建物を建てる素木造り。水色の連子(れんじ)の上に唐草模様の美しい彫刻があしらわれている。
※神事の際に神様にお供えする食事を作る場所

八坂神社

本殿の一部を囲む透塀

荒々しい神様として知られている素戔嗚尊は、実は31字の歌を初めて詠んだ和歌の神様でもある。出雲で詠んだ歌が本殿の後ろにある「歌碑」に刻まれている。
妻を思いながら詠まれたこの歌からは、普段猛々しい神様の繊細な一面が感じられる。

八坂神社

素戔嗚尊の歌碑

5.現存する日本最大の石鳥居に注目!

表参道に位置する南楼門が正門であることは意外と知られていない。1866(慶応2)年に焼失して1879(明治12)年に再建された。「祇園祭」の神輿渡卸や結婚式の際はこの門からスタートするそう。

この門の前にある石鳥居は「三ノ鳥居」で、現存する石鳥居の中では日本最大で重要文化財に指定されている。ちなみに昔は、一ノ鳥居が河原町の[高島屋]あたりにあったのだとか。

八坂神社

三ノ鳥居。昔は「感神院」の扁額が掛かれていた

そして石鳥居と南楼門の間には、江戸時代末期から明治時代にかけて、尋ね人や迷子を探すときに掲示板として使われていた石碑「月下氷人石」が安置されている。[八坂神社]のほかにも、[北野天満宮]の奇縁氷人石、[誓願寺]の迷子しるべ石も同じ役割をしていたのだそう。

八坂神社

月下氷人石

6.日本三大祭の一つ「祇園祭」を随所に感じられるスポットが!

869(貞観11)年に都の疫病退散をお願って始まり、ハイライトの一つである山鉾巡行がユネスコ世界文化遺産にも登録されている日本三大祭の一つ「祇園祭」。境内で祇園祭を感じられるスポットを随所に発見!
境内にある時計台の屋根の上に、長刀鉾の鉾頭があしらわれたデザインが!昔は祇園祭のお囃子の音が鳴っていたのだそう。

八坂神社

時計台

1928(昭和3)年築の重要文化財に指定されている神輿庫には、3基の神輿が奉安されている。コンクリート造で、火事や災害にあっても壊れないよう頑丈な作りで神輿を大切に守られている。

八坂神社

神輿庫

さらに境内にある摂社の一つ[疫神社]には、疫病除けの神様として蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)が祀られている。貧しいながらも、できる限りのもてなしをしてくれた蘇民将来命に感銘を受けた素戔嗚尊が『疫病が流行しても「茅の輪」をつけて「蘇民将来の子孫なり」といえば災厄から免れる』と約束したことで、疫病退散の神様として信仰されている。祇園祭の粽の護符に書かれている「蘇民将来子孫也」の由来にもなっている。
祇園祭の最終日に[疫神社]で行われる夏越祭では、大きい茅輪を鳥居に掛けて人々がくぐり無病息災を願う。

疫神社

疫神社

7.最後に、清なる水からご利益を授かろう

山の麓に位置する[八坂神社]は、本殿の龍穴をはじめ、昔から美しい湧水があることでも知られている。その地下水脈は今の二条城の南にある神泉苑に繋がっているという伝説もある。
平忠盛の伝説で知られる「忠盛灯籠」の隣の「御神水(ごしんすい)]は、「力水」として親しまれ、地元の人や近くの料亭の人たちが汲みにくるほど。

八坂神社の御神水

御神水

また、摂社の1つで市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)など3柱の女神を祀る[美御前社]には美容水が湧いており、少量を肌につけると身も心も美しくなるというご利益があると言われている。祇園の芸妓さんや舞妓さんなど、美しくなりたいと願う女性たちから信仰を集めている。

美容水

美御前社の美容水

御朱印所の近くには、なんと「祇園水」の自販機も設置されている。販売している水は、主祭神の素戔嗚尊が海の神でもあることから、海洋深層水で作られた水なんだとか。参拝の最後に、一本の「祇園水」で、心身を清めよう。

いつもにぎやかな祇園のシンボルである西楼門が移動していた過去や、素戔嗚尊の知られざる一面など、新たな発見はありましたか?
今回取り上げた場所をチェックしながら散策すると、より「祇園さん」の魅力や歴史に触れられるはず。(編集部K)

八坂神社

  • やさかじんじゃ
  • 京都府京都市東山区祇園町北側625
  • 京阪「祇園四条駅」から徒歩5分
    バス停「祇園」から徒歩すぐ
  • Tel.075-561-6155
  • 境内参拝自由
    授与所9:00〜17:00
  • http://www.yasaka-jinja.or.jp/
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