学問の神様でおなじみ[北野天満宮]の見どころをご紹...
全国に約1万2000社を数える天神社・天満宮の総本社であり、京都では親しみを込めて「北野の天神さま」と呼ばれる[北野天満宮]。千利休が茶頭として尽力した大規模茶会「北野大茶湯」の舞台となった地でもあります。4つの茶室を備え、現在も茶会が開催されるなど茶文化が受け継がれる[北野天満宮]の魅力について紹介します。
茶聖と呼ばれる千利休は、大永2(1522)年に堺の商家に生まれ、武野紹鷗(たけのじょうおう)から「侘び茶(茶の湯)」を受け継ぎ、桃山時代に日本独特の茶の湯を大成させた。利休は織田信長、豊臣秀吉の茶頭(お茶を点てる専門職種)として、当時の茶の湯を利用した政治の世界で活躍した。その子孫は、茶道の三千家として続いており、現代の茶道においても大きな影響を与えている。
学問の神様として広く知られる全国天満宮総本社、北野天満宮ですが、茶文化のゆかりの地としても親しまれています。そのきっかけとなった出来事が、豊臣秀吉が天正15(1587)年に催した北野大茶湯。秀吉は厚く崇敬した北野天満宮を中心に周辺一帯を会場とし、千以上の茶席を設けました。その規模もさることながら、身分を問わず茶碗ひとつで誰でも参加できるなど、前代未聞づくしの茶会であったといいます。そこに茶頭として迎えられた三人の茶人のひとりが千利休。茶会では秀吉や利休自らが茶を点て、庶民にも振る舞ったとされています。境内には「北野大茶湯之址」の石碑が立ち、往時が偲ばれます。
北野大茶湯では秀吉が黄金の茶室を持ち込んだという逸話が残りますが、境内には現在四つの茶室があります。いずれも非公開ですが、二つの茶室では毎月茶会が開かれています。その茶室のひとつが、一の鳥居をくぐってすぐ左手に見える松向軒。ここには北野大茶湯で細川三斎が使った井戸が残されているといいます。秀吉が北野大茶湯で水を汲んだと伝わる太閤井戸は、楼門前の広場で実際に見ることができます。月釜が開かれているもうひとつの茶室・明月舎は境内の奥に。北野大茶湯が10月1日に行われたことから、毎月1日と15日に御茶会を催しています。神社でも北野大茶湯にちなむ献茶祭を毎年12月1日に開催しており、茶の湯文化は現在に受け継がれています。
北野大茶湯で使われた井戸からも分かる通り、北野天満宮は古くから水に恵まれた場所。紅葉と新緑の季節などに公開されるもみじ苑には紙屋川が滔々と流れ、四季の景色に風情を添えます。かつては境内を囲むようにも水が流れており、境内の東側を流れる川は松葉川と呼ばれていたそう。東門から出てすぐ、道路との境が小さな橋のように少しだけアーチ状になっており、その名残を確認することができます。現在では南側の門がメインですが、昔は東門が正門でした。そのため上七軒は参道として発展し、今も情緒が漂うのです。そんな歴史も知って散策し、より深く楽しみたいですね。
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