[フォションホテル京都]にあまおうビュッフェとあま...
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京都に妖かし多いといえども、ここまで怖ろしい話も、そうはないだろう。
能の『鉄輪(かなわ)』でも知られる「鉄輪の井」。頭に鉄輪(鍋や薬罐をかける三本足の五徳)をはめて火を灯し、顔には朱をさし、口に松明を咥え、自ら鬼になって男に恨みをはらすため、7日間、貴船に丑の刻参りをした女の話である。伝説とはいっても、実際に井戸が存在し、祀られているのだから、背筋がゾワリとなる。
下京区堺町松原下ル、表札が掲げられた戸を開けて、路地を数メートル進んだ右手奥に、その井戸はある。住宅街に溶け込んでいるので一度、見過ごしてしまい、引き返して入口を見つけた。よく見れば、戸の上に鉄輪の井戸入口とあり、しめ縄が貼られてあった。
(写真左)通りに面して引き戸があり、(写真右)その路地の奥、右手に鉄輪の井がある
民家が軒を連ねる路地を進むと、朱色の鳥居があり、右手に鉄輪の井戸、その隣に夫婦和合・福徳円満の神として命婦稲荷大明神が祀られている。昭和10年に命婦稲荷を再建した際、言い伝えどおりに鉄輪の碑が掘り出され、伝説が裏付けられた。
鉄輪の井
昔、この辺りに一組の夫婦が暮らしていた。夫は妻の嫉妬深さに嫌気がさし、離縁して後妻をもらった。前妻は嫉妬のあまり、夫と後妻を呪い殺そうと鬼になる決意をする。悪夢に悩まされ、命の危機をさとった夫は思いあまって、ある人物に助けを求めた。それが、時の帝や藤原道長から絶大な信頼を得ていた稀代の陰陽師・安倍晴明だった。あと一晩で前妻の呪いの願掛けが満願を迎えるという日、晴明は等身大の人形(ひとがた)を作って祈祷し、そこに現れた前妻の鬼女を調伏する。鬼女は晴明の呪詛返しを受けて井戸の傍で息絶えてしまった。
ところが、これで、「めでたし、めでたし」とは、いかなかった。その後、この井戸の周囲では不吉な出来事が相次いだ。困った近所の人たちは相談し合い、その女のかぶっていた鉄輪を埋めて塚を築き、前妻の恨みを鎮めることにした。ようやく不吉な出来事はおさまったという。後に、この井戸の水を別れさせたい相手に飲ませれば、どんな縁でも切れるといわれ、浮気封じや縁切りスポットとして、密かに知られるようになった。
だが縁切りだけではあまりイメージがよくないということなのか、隣に縁結びの神様が祀られるようになった。今では悪縁を切って、良縁を結んでくれる御利益のあるパワースポットとして、知る人ぞ知る京の裏名所となっている。鉄輪の井戸の水は地下鉄工事の際に枯れてしまったと聞いているが、悪縁を切るため、自らペットボトルなどを持参して、この井戸に備えて参拝し、それを持ち帰る人もいるらしい。
この鉄輪の井の話は、宇治の橋姫伝説がルーツになっているようだ。京都の街にはこのような逸話が何気なく溶け込み、連綿と息づいているのだから、興味深い。
左が命婦大明神、左が鉄輪の井
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。