[フォションホテル京都]にあまおうビュッフェとあま...
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今年も12月に入ると、まず、取りかかる作業がある。オフィスの天井に近い壁に張られた「おまじない」を新しいものに張り替えるのだ。
大きい方が縦20㎝、幅5㎝。小さい方が縦6㎝、幅2㎝。大きいのが2枚、小さいのが5枚を半紙から切り取って、それぞれに「十二月十二日」と日付を書く。大きいのは愛宕神社の火除のお札とともに台所に、小さいのは窓や玄関に、上下を逆向きにし、ぺたりと壁に貼っていく。これは代々、筆者の家に伝えられてきた泥棒やスリ、空き巣などの盗難除けの「逆さ札」である。有効期限は一年間だと聞いている。
著者の台所に貼っている、おまじないのお札
さて、その「十二月十二日」と書くわけだが、これはいったい何の日かというと、天下の大泥棒・石川五右衛門が三条河原で処刑された日、つまり命日だという。
五右衛門は『京都大事典』によると、安土桃山時代の大盗賊で、文禄3年に捕らえられ、豊臣秀吉の命令で子とともに三条河原で釜煎の刑に処せられた。江戸時代に浄瑠璃や歌舞伎に取り上げられ、伝説化していく。安土・江戸時代初期の公家・山科言経が記した『言経卿記』にも記されていることから、実在した人物だと思われる。ただ、日記には文禄3年(1594)8月24日の項に「盗賊など十人の者と釜煎りになった」とあり、命日が違っている。一説には、12月12日は命日ではなく、五右衛門の生まれた日とも。
12月12日のお札は逆さに貼ることから、「逆さ札」と呼ばれる。ところで、なぜ、お札を逆さに貼るのだろう?
昔、泥棒は天井裏から忍び入ったため、お札を逆向きにし、泥棒からは12月12日と読めるようにしたとのこと。つまり、あの天下の大泥棒でも最後は捕まって釜煎にされた。「おまえも、同じな目に遭うぞ」と脅して、泥棒を戒めるためだそう。生きながら煎られるという恐ろしい刑罰に処されたのは盗賊として名を馳せていただけでなく、当時の天下人・豊臣秀吉の首を狙ったからだとされる。
国会図書館デジタルコレクション所蔵
『江戸繪日本史』石川五右衛門
江戸時代に庶民の間に広まったといわれる逆さ札の風習。昔、天井近くに貼られた札も、現代の家事情では玄関ドアや窓付近に貼る家が増えてきた。また、お札は、12月12日の12時に12歳になる子どもに書かせると効果が絶大だという。ちなみに、小さいお札を財布に入れておくと、財布をすられないというからぜひ、やっておきたい。また、逆さ札の風習は京都だけでなく、大阪や奈良など、豊臣秀吉の影響を受けた関西地域に多い。
京都では、嫌なお客が来ると、箒を逆さにして立てかける風習がある。客が早く帰りますように、というまじないだが、“逆さにする”という非日常の行為がその効力を増すと考えたのかもしれない。何かと忙しない師走。実はこの時期、空き巣や窃盗被害が最も多いらしい。逆さ札の御利益にあやかって、無事、年末年始の準備に取りかかりたい。
著者所蔵の古絵葉書。
石川五右衛門が処刑されたという三条河原が描かれている
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。