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京都にも猫の怪異を今に伝えるエピソードがいくつかある。その中のひとつが、臨済宗建仁寺派光清寺(非公開)の「浮かれ猫」だ。出水七不思議に数えられている。
臨済宗建仁寺派の光清寺
(一般拝観はされていません)
江戸時代、境内にある弁天堂には牡丹と蝶、そして真向きの猫が描かれた絵馬がかけられていた。当時、この寺の近くにあった花街から、毎夜、風に乗って三味線の音色が聞こえてきたという。
ある夜、弁天堂の絵馬からスルリと猫が抜け出し、女性の姿に変化すると三味線に合わせて踊りだした。その姿が、まるで天女が舞っているように美しい。目にした者は感嘆し、「浮かれ猫」と評判を呼ぶ。それから毎晩、噂を聞きつけた人たちが寺に押し寄せ、困った住職は絵馬を金網で覆い、法力を使って猫を閉じ込めてしまった。
ところが、その夜、住職の夢枕に一人の武士が立った。「私は法力によって閉じ込められた絵馬の猫の化身です。これからは世の中を騒がせたりしないので、封印を解いてほしい」と懇願。(寺が臨済宗だったことから、猫は気遣って武士の姿になって出てきたといわれる)。住職は猫を気の毒に思い、封印を解いてやった。猫は約束を守り、二度と絵馬から抜け出すことはなかったという。
「浮かれ猫」の絵馬
(写真家・中田昭さん寄贈写真を筆者撮影)
この猫は踊るだけでなく、ニャーと鳴いて、水を飲んだとの話も伝わる。
それ以来、猫は絵馬から抜け出さなくなったが、噂だけは広まって、弁天堂にお参りすると三味線や踊りの上達に御利益があるとされ、花街の女性たちから信仰を集めた。
絵馬に描かれた動物が抜け出す、という話は他にも聞くが、やはりこの絵馬の猫がホンモノそっくりに思えるほどの出来映えだったからだろう。
また、当時、花街で働く芸者や遊女のことを、隠語で「ネコ」と呼んだ。なぜそう呼ばれたかというと、猫は夜行性であることから、夜になると働きに出る女性たちを指したそうだ。遊女は生まれ変わったら猫になるとも言われたと聞く。
今、この絵馬(実物)は長年の風雨にさらされて劣化が激しく、残念ながら目にすることができない。寺の御堂には実物を撮影した写真が飾られている。猫は白と黒の二色のようだ。牡丹の花が描かれているが、牡丹は春の花である。その根は昔から婦人科系の薬として使用されていたこともあって、猫=女性、そして夜行性=遊女をイメージさせたのだろう。それに、この頃すでに「牡丹灯籠」という怪談も広まっていたようだから、京の街の人たちはこの寺の牡丹と猫の絵馬を見て、妖しくも艶やかな出水の七不思議として広まっていったのかもしれない。
※光清寺は非公開です
絵馬に描かれたような三毛猫
(引用:写真素材 足成)
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。