[フォションホテル京都]にあまおうビュッフェとあま...
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「あの人の心を取り戻したい」「あの人の浮気グセをなおしたい」そんな切なる想いに一役かってくれる神様が、京都に存在した!
それは、京都市上京区大宮廬山寺上ルにある櫟谷七野(いちいだにななの)神社で、七野神社とか春日神社と呼ばれている。
七野とは、周辺の地名である内野・北野・平野・上野・紫野・蓮台野・〆(しめ)野の7つを指す。〆野ではなく柏野や萩野、頭野をいう場合もあるようだ。七野は昔の京都の三大葬送地のひとつで、この神社は、七野の総社として祀ったともいわれる。
七野神社がなぜ、縁戻しの神様になったかというと、次のようなエピソードが残る。
平安時代、宇多天皇(在位887~897年)の御代のこと。皇后のもとに帝のお越しがパタリと途絶えてしまう。帝は他妃のところへ通っておられる様子。悲しんだ皇后は七野神社に参拝した。その祭神は奈良の春日社と同神で、社は藤原家の氏神のため、藤原家出身の皇后はこの神社に詣でたという。皇后は神前に白砂を盛り、奈良の三笠山を模して山型を作り、帝の寵愛が戻ることを祈願した。その甲斐あって、帝は再び皇后のもとに通われ、夫婦円満になったと伝わる。
以来、この社は倦怠期の夫婦仲を円満にするとか、復縁に御利益があると信仰されるようになる。高貴な方でも庶民でも、昔人でも現代人でも、男と女の間は変わらないようだ。
そこで、神社を訪ねてみた。
だが、たどり着くのに苦労した。周辺の道は狭く、込み入っていた。道に迷い、雨もパラついてきた。しかも、寒い。焦りながら道行く人に何度も尋ね、民家の間の細い路地を抜けて、ようやく七野神社の鳥居に出合うことができた。天候のせいか、境内はがらんとしていた。
櫟谷七野神社の鳥居
社殿と賀茂斎院跡
境内に立つ、春日社の使いの鹿
石段を上って社殿の前に出ると、机が置かれ、その上に盛り砂(石?)の小山が出来ていた!
社の説明を読むと、復縁、浮気封じ、その浮気相手の縁切り、はたまた離れたい夫(妻)や恋人との縁切りに御利益があるらしい。復縁だけでなく、縁切りというのは、平安時代の皇后が願を掛け、帝の寵愛を取り戻した、つまり、他妃との縁が切れたということからきているのだろう。
社のお守りには白砂が入っていて、縁を切りたい相手の衣服や持ち物などに白砂をこっそりしのばせておくと、縁が切れるとのこと。「相手の家の敷地や職場の机やロッカーなどにそっとひそませ念をかける」という説明を目にし、自分のポケットやデスクの引き出しに白砂が人知れず入れられていたらどうしようと、ゾッとなった!
説明を読んだ後、積まれた白砂を見ると、さらに願掛けした人の想いが迫ってくるようだ。白砂と社のご祈祷には凄いパワーがありそう……。
願いが込められた白砂の山
ここで、はた、と気づいた。この神社にたどり着くのに、あちこちの人に必死に道を尋ねていた自分は、その方たちから見ると相当、切羽詰まって見えたのではないか?
ところで、昔は社殿の周囲には南天の木がたくさん植えられていたそうだ。南天は「難を転じる」という語呂合わせから、厄除けとして歓迎されてきた。境内を見回したところ、現在は南天の木は見つけられなかった。
別の場所で見つけた南天。
難を転じてくれると伝わる
気がつけば雨はやんでいて、無事、撮影することができた。一時的に雨と縁が切れた?
京都という街は、路地を歩けば千年以上の歴史を伝え、人々に信仰されてきたスゴイ神さまに出会うことができる。これはやはり京都の醍醐味といえるだろう。
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。