まもなく創業70周年を迎える[洋菓子のバイカル 下...
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京都の西陣に、大きな奇石を祭神とする小社がある。場所は上立売通浄福寺東入ル。小さな鳥居と覆屋があり、神社の名は「岩上神社」という。
覆屋の中には、しめ縄をかけられた大石が鎮座している。石の大きさは直径が1mほど、高さは2m足らずといったところか。その名の通り、石というよりも岩である。
大岩の祀られる岩上神社
地元では「岩上」さんと親しまれている
そして、この奇岩には次のようなエピソードがあった。
もともと堀川二条付近にあったものだというが、二条城築城の際に六角辺りに移された。それが寛永年間になって再び、中和門院(後陽成天皇の女御の一人)の御所の庭の美しい池の畔に移された。
ところが夜な夜な、その池の辺りから啜り泣きが聞こえる。さらに耳を澄ませると、「帰りたい、戻りたい」と聞こえるではないか。不審に思った女官が池の畔に近づいてみると、見知らぬ子どもが泣きベソをかいている。「どこから来たのか?」「どこの子か?」と問うても、その子どもは泣くばかり。そして、スーッと暗闇に消えてしまった。女官から報告を受けた官吏が不審に思い、日を変えて調べてみると、池の畔の大岩が泣いていることがわかったという。
大岩を元の場所へ帰してやりたいと中和門院は願ったが、どこへ帰してよいのかわからない。相談した先の真言宗蓮乗院の僧侶が大岩をもらい受け、現在の地に遷して祀った。すると、怪異はピタリと止み、大岩を祀った寺を「有乳山岩神寺」と称した。
そのことから寺は授乳の神様として信仰されるようになったとも、大岩が子どもの姿に変じたので、その岩を「禿童石(かむろいし)」と呼んだともいい、授乳や子育てに御利益があると尊ばれ、女性の参拝者が絶えなかった。
一説には、授乳の神様となったのには、大岩の形が男性のシンボルに似ているからとも言われる。大岩は「陽石」で、京都では数少ない性神だとする説もあるが、はっきりしない。その後、京都が焼け野原になった天明の大火(1788年)など度重なる大火災で寺は荒廃を極め、明治維新の時に廃寺となった。大正年間に岩上神社として祀られ、現在に至っている。
もうひとつ、この大岩には面白い話がある。
江戸時代の末期、この大岩を祀る岩神寺界隈に妖怪が子どもの姿に化けて出て、旅人や道行く人を脅した。「これでは夜に歩けない」と、人々はこの岩神様に安全を祈願したところ、妖怪は姿を見せなくなったという。大岩様の御利益か、それとも当時、荒廃を極めていた岩神寺へ町衆の関心を向けるため、大岩様が子どもに化けてイタズラをしたのかもしれない。そうだとしたら、なかなかお茶目な神様だと思うのだが。
岩上神社を後にし、すぐ東に建つ、こちらも西陣の人々に親しまれてきた「雨宝院」に立ち寄ってから帰路についた。
岩上さんのすぐ近くにある、桜の名所・雨宝院
平成の時代が終わり、新しい元号の時代になっても、大岩様は「岩上さん」と西陣の人たちから親しまれ、町と人々を見守り続けてくれるだろう。
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。