[フォションホテル京都]にあまおうビュッフェとあま...
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古来より、女性にとって髪は「命」と言われてきた。平安時代の美人の条件は、しもぶくれのふっくらした顔立ちや切れ長の目のほかに、黒々と豊かで艶のある長い髪も、そのひとつだったことは、よく知られている。
髪質や髪型、髪の色を変えただけで、その人の印象がガラリと変わるといわれるだけに、現代人にとっても髪は重要だ。もちろん女性だけでなく、特に年配の男性などは髪の太さ、多さは気になる人も多いだろう。
その髪を守ってくれる日本で唯一といわれる神様が、嵯峨嵐山にある。百人一首で知られる小倉山の麓に建つ「御髪(みかみ)神社」が、それだ。
渡月橋より右手に見える小倉山を眺望する
嵯峨野の竹の道を抜けて御髪神社へ
小倉池の奥に見えるのが「御髪神社」
小倉池の西側にある、こぢんまりとした神社で、昭和36(1961)年、京都の理・美容業者によって亀山天皇御陵の近くに建てられた。
御髪神社。左上方に虹色のオーブが!
(虹色のオーブは”幸福のサイン”とも言われている)
祭神には、髪結いの始祖といわれる藤原采女亮政之(ふじわらのうねめのすけまさゆき)を祀っている。政之は鎌倉時代に活躍した髪結師で、次のようなエピソードを今に残す。
亀山天皇(1259~1274)の御代のこと。皇居の宝物護衛にあたっていた政之の父が宝刀の「九王丸」を紛失。それを探す旅に同行した政之が、生活の糧を得るため、庄屋の婦女の髪を結って父を助けたといい、これが髪結い職の起源となったとされている。今も神社は理・美容業界の人たちから崇敬され、昭和の初期まで、全国の理・美容業者は政之の命日を毎月の定休日としていたそうだ。
近年、御髪神社には理・美容関係者だけでなく、多くの参拝者たちが訪れる。その御利益にあやかろうと、境内に奉納された絵馬には、「髪が増えますように」といった、切なる願いをこめたものが多い。神社では、「献髪(けんぱつ)」といって、献髪料300円を払って神職の方に自分の髪を少しだけ切ってもらい、献納袋に入れて境内の「髪塚」に納めさせてもらうと、「髪と身体の健康」と「ご多幸」を祈願して、ご祈祷していただける上に、その髪は永久に髪塚で御護りされるとのこと。
御髪神社
また、神社の駒札には、「髪は人身の最上位にあって造化の神より賜った美しい自然の冠である……」ということが記されている。髪は自然の冠とは、言い得て妙というもの。
日本では昔から、”髪=神に通じるもの”として、神聖視されてきた。髪はその人の分身であり、髪には想いや力が宿るともいわれている。髪は願掛けにも使用された。現代の「赤ちゃん筆」という習慣も、その名残だろう。生まれた時からの赤ちゃんの胎毛で作った筆を誕生記念として残し、その子の頭脳明晰、長寿健康を祈る。
昔の人も現代人も、髪を大事にし、神秘を感じる感覚は変わっていないようだ。私たちも嵯峨路散策の折には必ず、参拝することにしている。
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。