まもなく創業70周年を迎える[洋菓子のバイカル 下...
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京都というのは、日常の風景の中に「謂われ」や「いわく」のある場所が顔をのぞかせているから一層興味が増す。立ち寄った場所が後から調べてみて、実は強力なパワースポットだったり、因縁つきのアブナイところだった……という経験が時々ある。
その日、あまり下調べもせず、伏見区深草にある大岩神社(おおいわじんじゃ)を訪ねた。昔は、山中の大岩を御祭神とし、疫病封じにご利益があった神社で頂上の展望所からの眺めがすばらしい、と聞いていた。
JR奈良線「藤森駅」で下車、旧道を歩いて大岩街道へ進み、目的の大岩神社参拝道へ足を踏み入れた。
大岩神社への参道入り口の鳥居
朱塗りの鳥居をくぐり、かなり荒れた竹藪の横の参道を歩いていった。
竹の参道
途中にマムシに注意の看板が立っていて、その横の薄暗くそれほど大きくない池があった。近づいてみると、一匹だけ鯉が寄って来た。昨日までの雨のせいで、ぬかるんだ足元に気をつけながら、鬱蒼とした細い参道をさらに上っていく。
右手奥に見えるのが池
と、唐突に不思議な鳥居が目の前に現れた。
一瞬、息をのむ。
樹木のなかに立つ鳥居は、一般的な鳥居とあまりに違っていて、一種、異様な雰囲気さえ感じられた。石造の鳥居の中央には「大岩大神」「小岩大神」と刻まれ、女神や武人、ウサギや鳥が配されており、石柱にはアラベスク模様を思わせるデザインと地蔵が刻まれている。アーチ状のオブジェという感じだ。
実はこの鳥居、京都出身の日本画家・堂本印象がデザインし、縁のあった大岩神社に寄進したものだという。
堂本印象デザインの鳥居
堂本印象のデザインと聞いて、少しホッとしながら鳥居をくぐる。
周囲は倒木や荒れた鳥居が幾つもあり、傾いた社の向こうに山腹から顔を出す、黒ずんだ大岩が見えた。狭い参道は樹木が迫り、その日は一人のハイカーにさえ出会わなかった。しかも、参道へ足を踏み入れてからずっと、気持ちがざわざわして落ち着かない。経験上、こういう気持ちの時はさらっと通り過ぎてしまった方がいい。昨日までの雨とは打って変わって、上空は気持ちよいくらい晴れていたが、早くこの参道を抜けたい気分で、自然に速足になっていた。
大岩神社参道
後日、大岩神社について調べてみた。
大岩・小岩を御神体の男神・女神とする古代の神祀りの名残のある神社だという。この男女の神には、お互いの病気を献身的に看病し、治癒にいたったという伝承がある。「難病の神様」として信仰され、特に結核の治癒に霊験があるといわれた。昔は、結核は不治の病だとされ、多くの患者が祈願に訪れたそうだ。
また、この神様は難病だけでなく、心の病にも御利益があるとのこと。だが、怪談話に詳しいライター仲間から、「途中にあった池では昔、夜、赤い玉が飛び交うのを見た人がいるらしい」との情報が!
ハイキングと堂本印象と難病の神様と怪談話。ひとつの場所でさまざまな顔に出会うことができるというのは、やはり京都という街の醍醐味という気がする。
ところで、大岩神社の参道を登り切ると、とたんに明るく、グッと視界がひろがった。大岩山展望所に到着した。整備が行き届き、座って休憩できるビュースポットになっている。
晴れた日には、大阪のビル群まで望めるようだが、この日は少しかすんでいてビル群までは確認できなかった。それでも伏見城や男山など、京都南部の景色が眼下に広がって、足の疲れも、恐怖心も、いっきに吹き飛ばしてくれた。
大岩展望所からの眺望
(中央に伏見城が見える)
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。