[フォションホテル京都]にあまおうビュッフェとあま...
PR
2018年の干支は戌(犬)。人にとって犬は干支の動物のなかで最も身近な存在といっても過言ではない。だが、ここ最近の猫ブームの陰にすっかり隠れ、影が薄いように思える。
犬をペットとして飼うのは、縄文時代からすでにはじまっていたようだ。縄文遺跡からは日本犬とみられる犬の骨が発掘されているという。また、平安時代の文学『枕草子』にも「翁丸」という名の犬が登場する。帝の愛猫と比べて、随分ひどい扱いを受けてはいるが……。
ビジュアルとしてわかりやすいのは、鎌倉時代の『春日権現験記絵巻』だ。その中には、首輪をつけてもらった犬などが描かれていて、可愛がられていたことが想像できる。
春日権現験記. 第13軸
(国会デジタルコレクション所蔵より転載)
その犬だが、ペットや猟犬として親しまれてきたほかに、縁起物としての役割を担ってきた。犬は多産で、仔犬はよく育つことから、昔から安産や子どもの成長祈願のお守りとして尊ばれた。「戌の日に腹帯をまくとよい」とか、生まれた子どもに犬張り子を贈ったりする。江戸時代には結婚をすると、犬張り子の雄を妻の実家へ、雌を夫の実家へ届ける習慣があったとも聞く。地方によっては「犬のフンを寝床の下に入れておくと安産だ」「妊婦が犬を可愛がるとお産が軽い」といった言い伝えもある。
巨泉おもちや絵集. 第13集 宮詣ノ犬張子
(国会デジタルコレクション所蔵より転載)
また、別の地方に伝わる不思議な話では、生前に飼い犬を大切にしておくと、主人が死んでしまった時、犬がおぶって三途の川を渡り、冥途での苦行も代わってくれるという。犬は冥途でも忠犬ということか。 そして犬は邪を防ぎ、正を守るといわれる。「遠吠えが魔を払う」「犬の居る家には悪いものが入って来ない」など、子どもの頃に近所のお年寄りから聞いたことがある。その時は、へえーと思っただけで、その理由を尋ねなかったのが残念だ。
そもそも古来より、魔除けとして活躍しているのが、神社の入り口に鎮座する阿吽の「狛犬」だろう。原型は獅子だとされるが、日本人にとっては、やはり「犬」のイメージが強い。
以前、狛犬にまつわる話で京都市内の狛犬を幾つか紹介したので、今回は先日、訪れた天橋立にある籠神社の狛犬のエピソードを取りあげてみたい。
社頭に鎮座する二基は、魔除けの狛犬として知られ、鎌倉時代の石造狛犬としては日本一の名作だとも伝わる。ところが、あまりに作り手の魂が込もっていたせいで時折、神社の境内を抜け出し、天橋立の松並木に現れては、人を驚かせた。その噂を耳にした戦国時代の豪傑・岩見重太郎が松並木で待ち伏せをし、狛犬が現れたところを刀で斬りつけた。脚を斬られた狛犬はそれ以後、出歩かなくなったという。二基の狛犬をよく見てみると、伝説通り、脚に斬られた傷跡が残っていた。出歩いて人を驚かせただけで脚を斬られて、少し気の毒な気もする。
阿の右足、白い部分が斬られた跡といわれている
さて、安産・子育ての守り神として、魔除けとして、ペットとしても活躍してきた犬。現代ではまた違った形で人に貢献している。救助犬や警察犬、盲導犬など、活躍の場は幅広い。近頃では、人の何万倍から1億倍ともいう嗅覚を活かして「がん探知犬」として活躍しはじめているそうだ。マスコミでも取り上げられて一般に知られるようになったが、犬が尿を嗅ぎ分け、癌かどうかを判断する。その的中率は100%に近いとのこと!
長きに渡り、人と密接に生き、人を助けて来た犬。戌年の今年、再び犬ブームの到来となるのでは!
市内で出会った秋田犬
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。