[フォションホテル京都]にあまおうビュッフェとあま...
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京都では源氏物語千年紀を記念して、2008年に11月1日を「古典の日」と宣言。毎年、この日に古典にちなんだイベントが開催され、すっかり浸透してきている。というわけで、今回、古典の中の異界を探すために、『日本霊異記』や『今昔物語集』を読み返してみた。説話には、京都やその周辺を舞台にした話が多い。
そんな中、京都府南部に位置する木津川市山城町への探訪取材をする機会を得たので、山城町綺田にある蟹満寺(かにまんじ)へ立ち寄ってみた。霊異記や今昔などの説話に登場する「蟹の恩返し」の霊験譚で知られる真言宗の寺である。
JR奈良線の棚倉駅で下車し、昔の風情を残す気持ちの良い田園風景を縫うように歩いて、天神川を越えて目的の蟹満寺へ。
棚倉駅
棚倉駅前にある蟹満寺を示す石碑
蟹満寺
本尊の釈迦如来は白鳳時代の名作で国宝に指定されている。2010年に落慶法要が営まれた本堂の蟇股には蟹、燈篭にも蟹、香炉にも蟹が! 蟹と蓮の花が一体になったデザインは素敵で、この古刹と蟹との縁がいかに深いかを物語っている。
蟹満寺の常香炉の蟹の紋章
その寺に伝わる「蟹の恩返し」の霊験談は、異記によると、次のようになる。
山城国に信心深い父娘がいた。ある日、娘は村人がとらえた蟹を助け、逃げしてやる。また、父は蛇に呑まれようとしている蛙を見つけ、「娘を嫁にやるから」と約束し、蛙を助けた。
その夜のこと、一人の立派な男が娘をもらいたいと訪ねてくる。その男の正体は、蛇であった。そこで親子は少し待ってくれと言い、いったん男を返し、その間に建物に板を打ち付け、中にこもって観音経普門品を唱えた。
再び、やってきた男は、約束が違うと怒り、蛇の姿に戻って暴れだす。やがて物音が静まり、夜が明けてから、父娘が家の外に出てみると、蛇はあちこちを蟹のハサミでちょん切られて死んでいた、という。命を助けてもらった蟹が、娘のために蛇を退治したのだった。
木津川市の昔話としては、先のように伝わるが、元ネタとなった『日本霊異記』では、「蟹と蛙の命を買い取って放し、現世で蟹に助けられた話 第十二話」として、娘が8匹の蟹と大きな蛙を助け、8匹の蟹が蛇をずたずたに切った、という話になっている。
この山城町に伝わる蟹のエピソードが、全国に伝えられる、蛙を蛇から助けて、蛙が恩返しをする「蛇婿入譚」という話の発端として各地に広がっていったとも聞く。
境内には「悟りなき蟹だに 猶 恩を受くれば恩を返報す 豈 人にして恩を忘る應からむや」との立札があった。
境内にある立て札
こういった逸話から、仏教の教えは広く浸透していったのだろう。ただ、山城の地から海は遠い。水の豊富な土地だと聞くから、この霊験談のモデルは沢蟹だったのだろうか。
逸話の中の娘は観音様のご加護を得たとされ、その観音様が蟹満寺の本尊だともいわれる。また、死んでしまった蛇は蟹と一緒に埋葬されて、その地に堂が建てられた。それが、この蟹満寺のはじまりだったとも伝わっている。亡くなってしまえば、敵味方をこだわらず一緒に埋葬するところはお寺らしいというか、なんとも日本的だ。
山城の地で今も愛されつづける「蟹の恩返し」。伝承・伝説には異類婚姻譚(いるいこんいんたん)など、異界のモノと人とが密接に関わるものが多い。昔は、現代よりも異界が身近なものだったのだろう。
古典に触れて、実際にその舞台の地を歩いてみて、グッ、と異界伝説が身近に感じられた、小さな歩き旅であった。
木津川市山城町の田園風景
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。