[京都祇をん ににぎ 祇園本店]と[米安珈琲焙煎所...
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平安時代、京の都は狐狸妖怪の棲み処だった。現代とちがって、夜は月明りだけだった時代、闇は深く濃く、都人を怖れさせた。
なかでも、平安時代末期、近衛天皇は闇の訪れを怖れた。毎夜、丑三つ時になると、御所は黒雲に覆われ、ヒョー、ヒョーという不気味な鳴き声がする。帝は、得体のしれない鳴き声を耳にする度、全身が震え、うなされるようになった。都人はその声の主を「鵺(ぬえ)」と呼んで、気味悪がった。
そこで、鵺退治に白羽の矢が立ったのが、鬼退治で有名な源頼光の子孫で、武勇に秀でた弓の達人・源頼政だった。頼政は闇夜に潜み、丑三つ時になって奇妙な鳴き声がするのを待った。そして鳴き声をたよりに、天空に向かって矢を放った。すると、空からドサリと落ちて来たモノがある。
近づいてみると、それは奇怪な生き物だった。頭はサル、胴体はタヌキ、手足はトラ、尾はクチナワ(ヘビ)。鵺の姿は、退治に関わった者たちを驚嘆させた。頼政が鵺を退治すると、たちまち帝の病は完治したという。
『大新板釜淵双級巴飛廻双六 切狂言頼政鵺物語』
(国会デジタルコレクション所蔵より転載)
源頼政に射られた鵺が落ちて来た場所というのが、京都市内に現存する。二条城の北側、上京区主税町にある二条公園がその場所だ。昼間は家族連れや子どもたちが遊ぶ公園で、おどろおどろしい雰囲気はない。ただ、その一角に、射落とされた鵺を祀る鵺大明神の祠がある。それはひっそりと公園の北側にたたずんでいる。
鵺大明神
鵺池碑
また、頼政が鵺の血に濡れた矢じりを洗った池というのも再現されていた。この鵺退治に使われた矢は、下京区にある神明神社に今も保管されていると聞く。
では、退治された鵺の亡骸はどうなったのだろう?
幾つかの説がある。
能の演目である『鵺』では、僧の前に鵺の亡霊が現れ、自分は冥府の渡し舟「うつほ舟」に押し込められて淀川へ流された、と嘆く。別の伝承では、大きな竹筒に入れられて清水寺の岡に埋められ、その鵺塚は清水三年坂の傍にあったという。また、伏見区深草にも鵺塚が存在する。いづれにしても、鵺伝説は当時の人々の間でよく知られていたようだ。
ところで、鵺の正体だが、ヒョー、ヒョーという鳴き声から、トラツグミだったのではないかと言われている。鳴き声は笛の音のようで、不気味というより、寂しげだ。
トラツグミ
電灯もなく、物音ひとつしない平安時代の丑三つ時、闇夜への恐怖心にいっそう煽られ、当時の都人が背筋を凍らせて鵺の声を聞いていたとしても、不思議ではない。
インターネットでも、「鵺」を検索してみた。その正体はレッサーパンダだというのがヒットした。顔はサル、身体はタヌキ、尾はヘビ、手足はトラ……。鵺の姿は諸説あり、尾はキツネともいわれる。確かにレッサーパンダに似ているかも!
ただし、謎は謎のまま葬っておくほうが、神秘的だ。
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。