[フォションホテル京都]にあまおうビュッフェとあま...
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京都の観光名所のひとつ、清水寺へ至るまでには幾つもの坂を経なければならない。周辺の地名は「八坂」というくらいで、坂の街だといっていい。清水坂、三年坂(産寧坂)、山ノ井坂、霊山坂、法観寺坂、下河原坂、長楽寺坂、祇園坂の八つの坂があり、それらを総称して「八坂」と呼ぶと聞く。
なかでも、三年坂(産寧坂)の名称にまつわる、ちょっと怖いエピソードはよく知られている。この坂で転ぶと、三年の内にポックリ死んでしまうとのこと。今でも坂の途中のショップで魔除けの瓢箪が売られているのを目にすると、ただの伝説だと笑い飛ばすわけにもいかない。つい、上り下りする足もとが慎重になってしまう。
三年坂の石段。 右手のお店は「瓢箪屋」
一説によると、三年坂という名前は、坂が出来た年号の大同3(808)年から名付けられたともいう。実際、歩いてみると、石畳が整然と敷かれ清潔感があって、両側に町家風の土産物ショップや食事処、美術館などが並び、京の情緒ここにあり、を実感させてくれる。
それにしてもどうして、風情あるこの坂道に、三年のうちに死ぬという奇っ怪な言い伝えが生まれたのだろう?
それはこの周辺の歴史と関係がありそうだ。
昔、この一帯は鳥辺野と呼ばれる京都の三大風葬地のひとつだった。三年坂から清水坂を越えた南側が葬送の地(死者の領域)で、この坂周辺は「あの世」と「この世」の境でもあったのだ。三年坂と清水坂の交わる北東に建つ経書堂(来迎院)は、かつて死者に手向けるためにお堂の僧が経木などに経文(法華経)を書いた場所で、その向かい側には三途川の奪衣婆の像のある愛染堂(通称・姥堂)があったという。
三年坂から清水坂に出る角。右手は経書堂
そういうこの坂の特異な成り立ちや、清水寺の子安塔へ詣でる妊婦さんへ、急勾配の坂で転んでケガをしないように気をつけよ、と喚起する意味もあって、「三年坂で転んだら三年のうちに死ぬ」という噂が生まれたとも聞いている。
こんなエピソードにも出会えた。この坂である年老いたお坊さんが転んだのを、坂道の途中にある瓢箪屋の主人が助け起こし、その伝説を教えた。するとお坊さんは、自分は年寄りでいつ死ぬかしれないと思っていたのに、あと三年は生きられる、と喜んだという。
ところで、この地域には一年坂、二年坂、三年坂があるが、実は、しねん坂もあるらしい。二年坂から正法寺へ向かう石段の坂道が、それだ。
龍馬坂(しねん坂)から正法寺へ続く石段の坂
坂の北側には霊山護国神社があり、龍馬などの墓があることから、龍馬坂とも幕末の志士葬送の道とも呼ばれている。以前、この坂について二年坂に住む方からお話を伺ったことがある。
その方の祖父が危篤になって意識を失った。その後、息を吹き返した祖父が、「気がついたら、正法寺さんへ行く坂の石段に立っていた」と口にしたという。以来、その家では龍馬坂とは言わず、「しねん坂」と呼んでいるとのこと。しねん=死ねない、死なない坂という意味だそうだ。
しねん坂は、観光客であふれる二年坂のすぐ傍にありながら、人通りはほとんどない。周囲の景色に溶け込むようにひっそりと、そこにある。
古来より坂というのは、日本神話の黄泉比良坂(よもつひらさか)に代表されるように橋や辻と並んで、あの世とこの世をつなぐ異界への通路だとみなされてきた。坂道を上っていくと、その先には、何があるのかとドキドキしてしまう。坂に神秘を感じるのは現代人にも日本神話のDNAがしっかり受け継がれているからだろうか。
八坂の塔
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。