[京都祇をん ににぎ 祇園本店]と[米安珈琲焙煎所...
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お正月の間になまった身体を鍛えなおすべく、プチ八十八ヶ所霊場めぐりに出かけた。今から190年前の江戸時代後半、右京区御室にある仁和寺の寺域に、四国八十八ヵ所霊場を模してつくられた御山めぐり「御室八十八ヶ所霊場」が、それだ。
「御山めぐり」の石碑
伊勢参りでさえ簡単でなかった時代、四国八十八ヶ所霊場へのお遍路は、京の人たちにとって約50日を要する過酷な旅で、途中、死人が出るほどだった。そこで、仁和寺の第29世済仁法親王の本願により、寺医が四国八十八ヶ所霊場の土を持ち帰って寺域の山中に埋め、その場所に八十八のお堂を建て、京の人たちが誰でも詣でることができるようにした。第一番札所から八十八番札所まで、阿波・土佐・伊予・讃岐と本四国になぞらえた約3kmの巡拝路が整備された。全行程を巡拝し終え結願すれば、四国八十八ヶ所霊場をお遍路したのと同じご利益が得られるといい、京の人々はこぞって巡拝に足をたくましくした。まさに、プチお遍路だった!
仁和寺の広い境内から西門を出て、第一番札所へ向かう。
一番札所[霊山寺]
左手の弘法大師立像の脇を進むと、木立の先に二番、三番札所のお堂があった。時代劇に出てきそうな山中の巡拝路で、さほど間隔をあけずに目的のお堂が次々に現れる。ただ、近年の風雨で道やお堂が崩れかけているところもあったので、足元に注意が必要だ。
途中で逆打(さかう)ち(巡拝路を八十八番札所から逆にまわり一番札所へ向かう)されている地元の方に出会った。ほぼ毎日、歩かれているとのことで、札所の中の面白いご利益スポットを幾つか教えていただいた。その一つが土佐域の三十三番札所だ。
三十三番札所の弘法大師像
ここでも弘法大師立像が迎えてくれる。この大師像が手に持っているカゴにお賽銭を投げ入れ、入れば願い事が叶うとのこと。さっそく願い事をし、お賽銭を投げ入れた。これが、なかなか難しい。三投目でようやく成功! 一投目で入らないとダメとは聞いていないので、ま、OKにしておこう。伊予域の四十一番札所は唯一、六角形をしたお堂だ。このお堂を時計回りに3回まわって拝むと、将来、介護されずにあの世へ行けるとのことで、後の人生のために3度まわってから念入りに拝む。
また、この巡拝路はご利益だけではなかった。山頂の四十八番札所を過ぎた辺りからは、京都市内を一望できる絶景スポットの連続だ。眼下に仁和寺の伽藍や双ヶ丘、遠くに東山・西山の景勝地や京都タワーが見渡せた。少し霞んでいたのが残念だったが、すっきり晴れていれば伏見城や男山まで見えるそうだ。
巡拝路と集の京都市内の眺望
オーブか?巡拝路にて
終盤にさしかかった讃岐域の第八十番札所では、京都ふしぎ石のひとつ「おむろの黒石」に出会えた。石にさわって痛いところを撫でれば、痛みがとれるといわれる霊石なので、私もさわって、日頃から悩まされている腰痛の部分を撫でておいた。
さわって撫でれば痛みがとれるといわれる「おむろの黒石」
御室の自然と江戸時代から続く京の人々の信仰心を肌で感じつつ、池の脇を抜けて、いよいよ最後の八十八番札所へたどり着く。やった、結願! と大喜びして、ふと気がついた。御山めぐりをする直前まで感じていた腰の痛みが、すっかり消えていた。ご利益のおかげか、それとも山道に足腰を揉んでいただき、日頃の運動不足が解消されたせいだろうか。
プチお遍路を終え、身も心もスッキリとした一年のスタートとなった。
結願成就の八十八番札所[大窪寺]
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。