[フォションホテル京都]にあまおうビュッフェとあま...
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年末になると、お正月を迎える準備として、各神社では新しい注連縄(しめなわ)が張られ、各家庭の玄関先や車にも注連縄飾りが付けられる。
この注連縄だが起源は、日本神話にさかのぼる。天岩戸から出てきた天照大神が再び天岩戸へ入ってしまわないよう、「立ち入り禁止」の意味で、神々が岩戸にシリクメ縄を締め塞いだのが始まりとされている。というわけで、注連縄は神と人との領域を示し、邪なものたちが入ってこないようにするための結界でもあった。
その注連縄を探して、年末の京都の街を歩いてみた。
新年を迎える準備には少々早かったが、一年を通して注連縄を見ることができるのは、やはり神社だろう。実際に巡ってみて気がついてのは、注連縄の張り方もそれぞれだということ。主なものは一本の線のように張られた一文字型、ほかに真ん中をたゆませたU字型や波形などもあった。
花園の今宮神社の注連縄(一文字型)
東寺境内の八島殿(U字型)
松尾大社の注連縄(波形)
また京都の五花街や飲食店の老舗も、全てのお店がというわけではないが、一年中、注連縄飾りが見られる場所だ。その中でよく見られるのは、中央を太く末を細く作った大根型の注連縄飾りで、藁束を扇形ひろげた垂らしに「笑門」や「蘇民将来」の文字が書かれた福板と紙垂が付けられていた。
ほかにも祇園祭・橋弁慶山の力縄なども見られた。一年間、花街の清浄を守り続けてきた注連縄飾りは、家庭のものとはまた違った趣があって興味深く、まち並みの美しさとあいまって、とても清々しい気持ちになった。
祇園甲部で出会った注連縄
先斗町で出会った橋弁慶山の力縄
ただし、神ごとに従事されている方にうかがうと、注連縄は魔を祓い、神聖な場所との境を示す場合だけではないのだとか。タタリを封じる注連縄など、強力な魔封じパワーを持つものもあるので、安易な気持ちでむやみやたらに触れたりしない方がよいそうだ。
ところで以前、「京都の民間信仰と風習」という取材で次のような興味深い情報と出会ったことがある。昭和の中頃まで、京都でも、「七人引き」と呼ばれる奇習を伝承する町内があったというのである。
七人引きとは、お正月の三が日に人が亡くなると、町内から相次いで七人の死者が出るというもので、三が日の死は忌まれていたとのこと。一人の死者が七人を死出の旅の道連れにしていくというのだから、たまらない。かといって、人の生死はどうにもならない。そこで万一、三が日に死者が出た場合、どうするのか。その町内では魔(死神)が入って来られないよう、注連縄で町ごとぐるりと取り囲んで結界を張り、喪に服すというのだった。また、それから半世紀以上経つ今でも、その奇習を信じている人は多いようだ。
これまで注連縄は神社に張られるもの、またはお正月飾り、という漠然としたイメージしかなかったが、結界として捉えてみると、なんだか年末準備の心構えが違ってくる。注連縄飾りをして一年の垢をおとし、神様を迎える清浄な空間をつくる準備を整えて、気持ちよく新しい年を迎えたいものだ。
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。