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今年9月26日は平安時代、稀代の陰陽師として名を馳せた安倍晴明の命日にあたる。今でも京都の人から、「晴明さん」と敬い親しまれるこの人物にまつわるエピソードは、とにかく超人的だ。
晴明神社境内の安倍晴明像
母親が狐だとする説をはじめ、少年時代に下京の町を歩いていて、師匠より先に百鬼夜行に気づいて難を逃れたとか、術くらべで箱に入った柑子をすべて鼠に変えたとか。占いで花山天皇の頭痛の原因を突き止めたり、一条戻橋の下に式神(十二神将)を隠していたなど……。
晴明神社境内にある「泣不動縁起絵巻の折りつづれ絵馬 」。
祈祷を行う晴明の後ろに2人の式神、祭壇の向こうに5匹の化け物がいる
その晴明が式神を隠していたとされる一条戻橋は、古来より鬼にまつわる伝説が多い。現在、一条戻橋は上京区の一条通堀川にひっそりと掛かっているが、平安時代の都人はこの橋に多いに注目し、怖れてもいた。
一条戻橋
延喜18年(918)、文章博士三善清行の息子・浄蔵が熊野参詣の帰路、この橋で父の葬儀に出会った。浄蔵は嘆き悲しみ、棺にすがって神仏に祈ると、清行は蘇生したといい、そこから戻橋と呼ばれるようになったと伝わる。
また、夜更けに橋で百鬼夜行に遭遇した若者が、鬼に唾を吐きかけられて姿が消えてしまう話や渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所としても、名高い。かの『源氏物語』にも、「ゆくはかえるの橋」としてこの橋が登場する。都人の間では一条戻橋のゾッとするエピソードは、今でいう都市伝説化していたようだ。
興味深いことに、この橋の西側には安倍晴明の邸があり、橋の東側には鬼や土蜘蛛退治で有名な源頼光の邸があったのは、偶然ではないだろう。
元来、橋は井戸や川などと並んで、あの世とこの世の境界とされてきた。川の両岸を行き来できる橋は神聖なものでもあったが、魑魅魍魎(ちみもうりょう)も行き来することができるという観念から、特別な空間と捉えられてきた。
特に、一条戻橋は平安京最北の一条通にあることから、橋の向こう側は異界とされた。
また、昔は一条通で二つの川が合流しており、流れがぶつかってできる水泡から異界のモノが出て来るとも考えられていたようだ。一条戻橋の両側にゴーストバスターの邸を配置することで、都への魔の侵入を防ごうとする意図がうかがえる。ここは後世、豊臣秀吉が自分に逆らった千利休の首を晒した、いわく付きの場所でもある。
現在でも一条戻橋は、縁談のある人は避ける習わしがあり、逆に旅人は橋を渡ると必ず戻って来られると、橋を渡って出立する人もあるという。ところで、なぜか東から西へ、渡らなければいけないらしいのだが……。
この一条戻橋から堀川通を隔てて少し北に、安倍晴明を祭神とする晴明神社がある。もとは安倍晴明の邸跡だった場所だ。
晴明神社一の鳥居
一の鳥居の額の社紋「晴明桔梗」は、五芒星ともセーマンとも呼ばれ、魔除けや災害避けの祈祷呪符のひとつである。
晴明神社境内のあちこちに見られる晴明桔梗紋
今でも伊勢志摩の海女の間では、危険な海の仕事から身を守ってくれると信仰されている。
9月22日、晴明神社で例祭「晴明祭」が催される。宵宮では「御湯立神楽」などが奉納され、例祭当日は神輿渡御があり、境内には露店が立ち並び、参拝者でにぎわう。
平成の世、参拝者たちは稀代のゴーストバスターにどんな魔物退治を願うのだろうか。
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。