クリスマスの伝統菓子を和菓子で表現![京菓子處 鼓...
山での不思議な出来事を集めた『山怪(さんかい)』が静かなブームを呼んでいる。薄暗く、深閑とした山中では全身の神経が研ぎ済まれ、都市の喧噪では見落としてしまう事象にも敏感になるものだ。三方を山に囲まれる山紫水明の地・京都にも山にまつわる怪異譚は多い。私たちも取材などで山を歩き、奇妙な体験をしたことが何度かある。その一つを紹介したい。
戦国時代の武将・明智光秀ゆかりの城山・周山(しゅうざん)城址を登った時のこと。京都市右京区京北町にある周山城址は、若狭から京都を結ぶ周山街道の押さえとするため、光秀が標高約480mの丘陵上に山城を築いたとされる。
城址の曲輪群の石垣は野面積みで、当時の様子を今に伝えるが、周山城の名は秀吉時代以降、歴史から消え、「兵どもが夢の跡」という感じだ。この石垣には周囲にあった寺から運び出された墓石が混じっていると地元の方からお聞きし、ますます荒涼感を覚えた。
周山城址への登山口(出口)
石ころだらけの坂道がつづく
登山道は近年の台風災害で荒れていた。やっとのことで崩れかけた急斜面を登り切り、苔に覆われた大石が散乱する道を進んで広場に出た。立て看板があり、ここが東の城の中心部だったことがわかる。城址を観察した後、西の城址へ立ち寄り、黒尾山を経て林道から下山する予定だった。
城址へ登る途中、見晴らしのよい場所に出た。絶景!
途中の切り株にで発見した、周山城主要部見取図
その帰路のこと。あとは下るだけ、とホッとしたのもつかのま、足が、はた、と止まった。
――あれ! 道が、ない。
下山してきたルートが突然、消失、いや、かき消えたとしか表現のしようがなかった。振り返ると、今、下山してきたルートが上り道となって続いている。でも……、立ち止まった先の左側は杉林の間がすべて下りの道に見えるし、右手は大きな石に阻まれている。嫌な予感がした。どこかで道を間違えたのかもしれない、と下山ルートを引き返し、30mほど登る。周囲の木の幹には赤や白のテープが巻かれ、正しい道筋であることを教えてくれている。さらに引き返すと黒尾山、城山・周山城址へと戻ってしまう。途中には標識も設置され、わかりやすいはずなのに。
道がなくなった! 大きな岩が!
再度、下山ルートにトライしてみるが、また同じ場所まで来て、杉林に阻まれた。やはりルートが消失。3度、同じ道を上り下りした。気温5℃だというのに背中にはジットリと汗がにじんだ。このままでは遭難してしまう、と焦りがピークに達した瞬間、ふと、下山ルートからV字に左折して下る細い道が視界に入った。これだ!
振り返ると下りの道が!なぜ、この道が見えなかったのか、謎…。
(手前の木(右)とその次の木(左)の間を抜ける)
どうしてこの道が見えなかったのだろう。安堵したと同時に、やられた! と思った。山中で同じ道を何度もぐるぐる歩かされる体験は、これまでに二度ほどあった。俗に「キツネに化かされた」といわれる、それだ。ちなみに、京都では「タヌキに化かされた」とか、「天狗に遊ばれた」と言う。ルートを下ると広い林道に合流、無事、下山できた。
山で同じ道を何度も歩かされる体験をした人は多いと聞く。疲れや生い茂った草木のせいで道が見えなくなるのだという人もいるが、やはり狐狸妖怪に化かされたというのが、ぴったりくる。そういえば途中、タヌキらしき糞が落ちていた。それとも、明智光秀にからかわれたのだろうか? 山の神様に畏敬の念と無事に下山できたことを感謝しつつ、周山を後にした。
京北町柏原の里への出入り口が見えてきた
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。