王道から大人の味わいまで![ホテル日航プリンセス京...
今年も京都に酷暑がやってきた。連日、35℃超えの中、ちょっと涼しくなれそうな話を拾ってみた。
北野白梅町から嵯峨嵐山を結ぶ通称「嵐電」の途中に「帷子の辻(かたびらのつじ)」という名の駅がある。「帷子」とは、ひとえの衣服で、生絹や麻布で仕立てた夏用の着物を指す。が、人が亡くなって入棺する時に着せる死に装束「経帷子」を連想させる。帷子の辻の名はまさに、その死に装束の経帷子に由来するらしい。
帷子の辻の道路標識
平安時代初期に、稀にみる美女といわれた皇后がいた。嵯峨天皇の后で橘嘉智子(たちばなのかちこ)という。後に檀林(だんりん)皇后と言われた彼女は、容貌だけでなく、賢くて仏教に深く帰依していた。彼女の美貌は仏に仕える僧たちの心を奪い、彼らは修行も身に入らないありさまだった。それを憂慮した皇后は、「自分の死後は亡骸を埋葬せず、どこかの辻に捨てて鳥や獣の餌にせよ」と遺言。そして朽ち果てていく様子を絵にするようにとも言い残し、この世を去ったという。
檀林皇后の遺体が捨てられた場所こそが、帷子の辻だと今に伝わる。一説には、皇后の棺に被せられていた帷子が風に飛ばされて落ちた場所だったともいうが。
皇后の遺体を風葬し、その様子を9つに分けて描いたとされる「九相図」が今に残る。生前の美しい姿、死、そして野に晒された遺体が膨張し腐っていくさま、鳥獣に食われ、白骨だけが転がり、ついに土に還っていく、というおどろおどろしい場面を描いた絵だ。今は美しくとも、年老い、そして死ぬと誰しも醜い姿となる。皇后は、美のはかなさ、世の無常を自らの身体で世に示したのだった。
その「檀林皇后九相図」と呼ばれる生々しい絵は、東山の六道の辻に建つ西福寺にある。
西福寺
六道の辻は冥途の入口だと言われるように、昔の京都三大葬送地の一つ「鳥辺野」の入口にあたる。また、西福寺は檀林皇后の祈願所だった寺だ。今年も8月7日~10日かけて行われる「六道まいり」の間、九相図が公開され、九相図に出合うことができる。目にすればきっと誰でも、何か感じるところがあるのでは……。
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ところで、修行に身が入らず皇后に恋慕していた僧たちは、彼女の死後、世の無常を知り、再び修行に励むようになったという。皇后は65歳で亡くなっているから、九相図は実写というわけではなく、後世になって描かれたようだ。
ちなみに、右京区嵯峨野に檀林寺という寺がある。檀林皇后が創建した寺に由来すると聞いた。美人で名高い皇后の名にふさわしく、境内は緑が美しく、秋には紅葉の名所となる、静かなたたずまいの寺である。
嵯峨野にある檀林寺
それにしても、皇后の立場で風葬を選び、また自らの意思で遺体を描くように言い残したのだとしたら、たぐいまれな美貌も、皇后という地位も、彼女にとっては「はかないもの」、つまりは無常でしかなかった、のかもしれない。
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。