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京都随一の観光名所、清水寺から西南へ歩いて600メートルほどのところに、清閑寺(せいかんじ)がある。新義真言宗智積院の末寺で、『平家物語』の高倉天皇と小督局との悲恋のエピソードを今に伝える古刹だ。
清閑寺
苔の美しい庭には「要石(かなめいし)」と呼ばれる石がある。そこから眼下を見渡すと、扇を広げたように京都の市街が一望でき、その要石に願をかけると、叶うという。
清閑寺境内からの眺望
江戸時代、この寺の周辺は大津方面からの旅人の往来で賑わい、茶店が並んでいたと聞く。京都を訪れる観光客が急増する近年でも、清水寺より奥まった場所にあるせいか、参拝者はあまり多くないようだ。静寂に包まれた境内は、かえって風情がある。
その清閑寺と清水寺を山際に沿って結ぶ小径がある。現在は狭くて短い、薄暗い道なのだが、昔から「歌の中山」と呼ばれ、知る人ぞ知る名所旧跡の一つである。そして、この小さな古道には、小径の名の由来となった、次のような逸話があった。
昔、夕暮れ時に、真燕(しんえん)という僧が山門を出てぶらぶら歩いていると、ひとりの美しい女人に出会った。たちまちその女人に心を奪われた真燕は、声をかけてみたい衝動に駆られた。だが、うまい言葉が思い浮かばない。「清水寺へはどう行けばよいのですか」と尋ねるのがやっとだった。すると、その女人は立ち止まって、真燕をじっと見つめて、
見るにだに 迷ふ心のはかなくて 誠の道をいかで知るべきーー
と、一首詠んで返した。真燕は、ハッと胸をつかれ、一瞬、目を伏せた。顔を上げた時、女人の姿は、かき消えていたという。
歌の意味は、「あなたは仏の道を志しているようですが、見る限り、煩悩に囚われたようですね。そんなことで惑わされるようでは、どうして仏の道を悟ることができましょう」といったところだろうか。
真燕は、自身の心の迷いをズバリと見抜いたその女人を仏の化身だったに違いない、まだまだ修行が足りていないことを教えてくれたのだ、と恥じて読経三昧の日々を過ごしたとのこと。
その逸話から「歌の中山」と呼ばれるようになった小径は、以後も多くの歌人たちに詠まれたようだ。謡曲「融」や「田村」に登場したことで、次第にその名が世間に知られるようになった。
夕暮れ時、清閑寺を参拝した後、真燕のように清水寺の方へ向かって歩いてみた。
歌の中山と呼ばれる清閑寺と清水寺を結ぶ古道
山肌と鬱蒼とした木々に挟まれ、眺望は効かないが、京の古道の雰囲気を伝える小径だ。葉ずれの音しかしない小径の脇に、「歌の中山 清閑寺」と記された石碑が立っていた。
歌の中山の石柱
と、唐突に、清水寺方面から一人の女性が歩いてくるのが目に入った。長い髪を今時めずらしいソバージュにして、フレアスカートの裾が歩く度に揺れる。服装や雰囲気がハイカーのようには見えなかった。
こんな時間に、どこへ?
すれ違った瞬間、ふと、真燕のエピソードが脳裏をかすめた……。
秋の清水寺
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。