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京都の古道を探索取材している仲間から興味深い情報を得た。 「鹿ケ谷の古道、如意越(にょいごえ)で人の顔の相をした岩に出合ったよ」
なに、それって人面岩かも! 過去には日本各地で人面魚が流行ったし、最近は平昌五輪の開会式・閉会式に登場した人面鳥はおおいに話題をさらった。この摩訶異探訪でも以前、巨椋池の人面瘡伝説を紹介したが、謂われのあるなしにかかわらず、「人面」をしたモノたちは見る者にミステリアスな印象を与えてくれる。
ならば行くべし。タイミングもよかった。ちょうど京都一周トレイル「東山」を散策取材中だった。そのコースの標識「東山45」大文字山四辻~標識「東山48」霊鑑寺へと至る坂道が、京の古道のひとつ「鹿ケ谷の如意越」だった。
地元の古老によると、昔は、鹿ケ谷から大文字山四辻の峠を経て如意ヶ嶽(東山三十六峰の一峰)を越え、滋賀県大津市へと至る近道で、三井寺への参詣道だったと聞く。つまり南側の日ノ岡越(東海道)や一筋北側の山中越の間道であった。
京都一周トレイルの標識から鹿ヶ谷方面へ下る
で、肝心の人面岩がある場所はというと、如意越の途中にある、この間道の名所の一つ楼門の滝のそばだと聞いていたので、「東山45」~「東山48」へ下るときに立ち寄って探してみることにした。
この急な坂道を下り、大岩を過ぎて、「東山46」の俊寛僧都忠誠之碑に辿り着いた。
俊寛僧都の石碑
石碑を回り込み、かなり急な石段を下りていくと、左手に滝の音が聞こえてきた。
楼門の滝の脇にある石段
楼門の滝
かつてこの辺りにあったとされる如意寺の楼門からその名が付いたともいわれる、高さ約12mの楼門の滝だ。また、この古道を懐に抱く如意ヶ嶽の名の由来でもあった。
楼門の滝をしばし見学し、目的の人面岩はどこだろうと探していると、あった!奇岩が鎮座していた。
楼門滝の傍にある巨大な石、人面に見える
将棋の駒に似た五角形の岩には彫り込まれたように目・鼻・口があり、巨大な人の顔に見えるではないか。滝のそばに立ち、人知れず如意越の番人をしているよだ。ただし、怖さはない。面相はおだやかで念仏を唱えているようにも見える。
歴史を調べてみると、こんな一幕があった。先ほど出合った俊寛僧都忠誠之碑の場所は、平安時代の僧・俊寛の山荘跡といわれている。
俊寛といえば、平清盛率いる平家一門の圧政を見かねて反旗をひるがえした僧として有名だ。その鹿ケ谷事件の密議をしたのがこの山荘だった。ところが、裏切りにより平清盛に察知され、俊寛は絶海の孤島・鬼界ヶ島へ流刑に処された。その後、その事件の首謀者と目された俊寛は流刑地で非業の死を遂げたそうだ。
ということは、この念仏を唱えているように見える人面岩は、その俊寛僧都の都への思いを宿した奇岩なのかも知れない。人の顔に似、なんとも神秘的で不思議なエネルギーを発している両目にジッと見られては、なんだか落ち着かない。長居はせず、鹿ヶ谷の里を目指して下りることにした。
鹿ヶ谷の坂道から見た京の街
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。