[フォションホテル京都]にあまおうビュッフェとあま...
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久しぶりに、水尾の里を訪ねた。
水尾へはJR京都駅から山陰嵯峨野線に乗って嵯峨嵐山駅の次、無人駅の保津峡で下車する。観光客でにぎわう嵐山とは愛宕山を挟んで反対側になるが、雰囲気はがらりと変わる。線路の高架下を保津川の渓流が豊かに流れ、山里の風情たっぷりだ。
JR山陰嵯峨野線と保津川
水尾へようこその看板
保津峡駅と水尾の里を示す標識
秋冬にこの里を歩くと、あちこちの柚子畑で鮮やかに色づいた柚子がたわわに実っているのを目にすることができる。
柚子の木と実
秋から春にかけて、里の民家では柚子湯と鶏鍋で訪れる人をもてなしてくれる。
昔から、冬至には柚子風呂に入る風習がある。冬至は、一年で最も夜が長い日だ。電灯などのなかった時代、暗闇を怖れた古人は冬至を死が一番近い日と忌み、さまざまな厄除けの知恵を絞ってきた。今でも受け継がれているひとつが、柚子風呂に入って無病息災を祈る風習だ。昔から強い香りは邪気を払うと言われてきた。柚子は柑橘系の中でもひときわ強い香りを放つことから、食用としてだけでなく、霊力を持つ植物として厄除け・魔除けとしても活用された。
冬至に柚子風呂に入るのは、湯治(とうじ)とかけ、柚子は融通が利くに通じるという。柚子の実を浮かべた湯に浸かると風邪をひかず、また腰痛やリュウマチ、冷え症などにも効果があるという。柚子には血行を促進する成分や豊富なビタミンC、それに果皮には肌を滑らかにするビタミンEが多く含まれているというから、身体に良い効果をもたらしてくれるだろうし、柚子の爽やかな香りは気持ちまでリラックスさせてくれる。
その柚子が、日本の文献上はじめて登場するのは、『続日本紀』だとされる。中国大陸や朝鮮半島からやって来たようだが、今では日本と韓国の一部でしか生産されていないと聞いた。その柚子の産地としてよく知られている場所が、京の隠れ里と呼ばれる”水尾”だ。
水尾は、昔から「みずのお(水ノ尾、水雄)」とも呼ばれ、きれいな水が湧く所として知られていた。伏流水と寒冷な気候が香りの高い柚子を育み、江戸時代にはすでに「水尾の柚子」として都で珍重されていたと聞く。さらに時代を遡ると、この里の柚子をこよなく愛し、水尾帝(みずのおのみかど)とも称された天皇がいた。清和源氏の祖・清和天皇(850~880年)だ。水尾は清和天皇の出家後の隠棲地であり、御陵もここにある。
清和天皇社
里を歩いていて出会った古老の方から、この土地に伝わる興味深いお話を伺った。清和天皇の御陵にはお宝が埋められて、金の鳥が一緒に埋葬されていると言われているという。天皇などが崩御すると、御陵には金の鶴や亀が埋葬されるという話を聞いたことがある。里の情緒を楽しみながら、埋められているという金の鵜の姿や水尾で過ごした清和天皇に思いをはせながら、柚子香る里を後にした。
水尾の里と手前は柚子畑
後で文献を調べたが、金の鵜に関する記述は見つけられなかった。だが、国際日本文化研究センターの怪異・妖怪データベースで、水尾の里の言い伝えを裏付けるものがヒットした。御陵の下には「金の鵜(キンノウ)」が埋まっているとある。ただ、それを掘り起こすと罰が当たると書かれてあった。お宝伝説にはそういった話は付き物だとはいえ、あまり詮索しない方がよさそうだ。
この秋、個人的に立て続けに災難が降りかかってしまった。冬至には頂戴した柚子を使って柚子風呂に浸かり、一年の疲れを癒しつつ、無病息災を祈って厄払いをしたいと思う。
柚子風呂のイメージ (フリー素材)
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。