王道から大人の味わいまで![ホテル日航プリンセス京...
2019年3月16日、JR嵯峨野線の京都駅と丹波口駅との間に新駅「梅小路京都西駅」がオープンする。近年までは観光地とは縁の無い地域だったように思うのだが、京都水族館や鉄道博物館などが開館し、新たな観光スポットとして注目を集めている。
新駅・梅小路京都西駅(オープン前)
さて、この梅小路エリア。歴史的にみると、なかなか面白い地域だった。この名称は平安京の梅小路通りに由来するようだ。当時のメインストリート朱雀大路の西側、八条大路の一本北の東西に伸びる通りで、道幅が約12mの小路だった。東側のエリアには、かつて花街として栄えた島原があり、平安時代に渤海の外交使節として使用された(現在の迎賓館)東西鴻臚館があった。
江戸時代の絵図(右側が北)
真ん中に梅小路と土御門の文字が見える
そして、このエリアが密かにパワースポットだといわれる理由がある。
旧梅小路村は江戸時代に代々、陰陽師をつとめた「土御門家」が屋敷を構えたところだった。その始祖というのが、平安時代に活躍した、あの陰陽師・安倍晴明なのだ。晴明から数えて14代目の有世(ありよ)を祖とし、その曾孫の代から土御門家を名乗ったと言われている。
[related-article field=”related1″]
陰陽道とは中国の陰陽五行思想に由来し、日本独自の発展を遂げた呪術や占術の体系だといわれる。陰陽師といえば安倍晴明を主人公とする漫画や映画の影響で、カリスマ “ゴーストバスター”の印象が強い。だが、実際は、呪術だけでなく方位学や天文学による占術も陰陽師としての大切な仕事だった。
七条御前をしばらく下がって行くと、通りの東側に梅林寺、さらに少し先の西側に円光寺がある。どちらも土御門家ゆかりの寺だ。梅林寺は土御門家の菩提寺であり、寺の中庭に天文観測のための台石が残る。これは「大表」と呼ばれる日影を計る標の土台だといわれている。また、円光寺にも天文観測に用いられた渾天儀の台石が残っている。どちらの台石も四角く平たい石の表面に十字の形に溝が彫られていて、それぞれが東西南北を指している。土御門家の陰陽師たちはこの地で空を見上げ、天文観測をしていたのだろう。ただ残念ながら、どちらの寺も非公開だった。
土御門家菩提寺の梅林寺
土御門家菩提寺の石碑
土御門家の邸宅跡だといわれる円光寺(側面)
そして先の梅林寺にはもう一つ、興味深い伝統行事があった。
毎年1月8日に行われる「ジジバイ講」だ。寺の住職が読経の途中に講員(旧梅小路村の旧家の戸主)に榊の枝を回し、それを講員が一枚ずつ取っていく。その後、年長者が「ジジバイ、ジジバイ講」と声をかけ、全員が長さ20㎝ほどの青竹の束を持ち、住職の読経と木魚の音に合わせて、目の前に置かれた長さ約3mの丸太を青竹で勢いよく竹がささくれるまで叩くというもの。農作物を被害から守り、豊作を願う行事だそうだ。
青竹を使用するのは、古来より竹は神の宿る神聖なもので霊的パワーを持つとされてきたことによるのだろう。丸太は、かつて村の藪に棲み着いて農作物を荒らした大蛇を見立てたともいう。この時代、村には西高瀬川が流れていたから、川が氾濫して作物に被害が出たこともあったに違いない。だとすると、暴れ川の様子を大蛇に例えたことは安易に想像できる。ジジバイ講は京都市登録無形民族文化財となり、今もこの地域の農作物を守り続けている。
帰路は梅小路公園を横切った。ちょうど梅が満開だった。公園の北西角にJR梅小路京都西駅が誕生し、街の様子が変われば、人の流れも変わっていく。今後、梅小路に新たな歴史や伝説が加わっていくのだろう。
梅小路公園の梅の木と電車
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。