まもなく創業70周年を迎える[洋菓子のバイカル 下...
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定期発行誌としては最終号となったLeaf最新号(2023年12月25日発売)にて、裏表紙の裏側に「Leafさま 27年間ありがとう」という愛溢れるメッセージ広告をくださった「えなみかつひと」さん。この名前を聞いてピンときたあなたは、昭和生まれの木屋町育ち確定です。
えなみさんは、この世にGoogleマップもInstagramもなかった30年前、街の全情報が集まった場所といっても過言ではない[えなみ家]伝説の店主。現在は後輩に店を譲り、店舗デザインや設計・設営、人気ジュエリーブランドのアドバイザーとして街を盛り上げておられます。そんな木屋町のアニキ・えなみさんと、弊誌編集長の吉田とは25年以上のお付き合い、営業マネージャーの原田とも15年程の腐れ縁。今さらなにを…と照れながら、共通する思い出やLeaf愛を語り合いました。
吉田/えなみさんと出会ったのは私が大学に通ってたころ。サークルの先輩が[えなみ家]でアルバイトしてたのがきっかけですよね〜。
えなみ/そん時の京都はバブルの名残りがまだあって、大学生のサークルがディスコを貸し切ってイベントとかしてた。いつも街で仲間とつるんで遊んでる、チャラい大学生たちから、よ〜慕われたわ。
吉田/その時、私がイベントコンパニオンのアルバイトをしてて、仕事終わった20時半とかに「今日も高いヒール履いてのお酌、疲れたわ〜」とかクダ巻いて。そんな常連が次々にやって来て、新規の人が座れなくなったら、「お前らもう帰れ」って言われて解散。楽しかったなぁ。ところでえなみさんて、なんで[えなみ家]を始めたんでしたっけ。
えなみ/故郷は京丹後で「おら、東京さ行くだ」と東京の大学に入学するも中退。そのきっかけとなったのが、東京・渋谷の雑居ビルにあったバーで働き出したこと。めっちゃキレイな人やおもろい人が夜な夜なやってくる、そこのバーのオーナーに憧れて大学に行かなくなった。東京から京都に移って、しばらくは舞台とカラオケのある店で、タンバリンを叩きまくってお金を貯めて、周りに助けてもろて、独立したのが20歳のころ。平成5年5月5日、木屋町に[えなみ家]をオープンしました。
吉田/卵とろとろのオムそば、そしてとん平焼きも名物でしたよね。
えなみ/たまたま借りた物件に鉄板があって、偶然にも烏丸御池に親戚がやってるお好み焼き店があったから、ただ働きで鉄板修業させてもろて。ニラ玉とかとん平焼きの作り方を覚えて。手伝って1ヶ月してすぐ[えなみ家]開店。最初は、お客さんから「よーこんなで金とるな」ってめちゃくちゃ怒られて地獄やった。でも、すみません!って言いながら、17時〜朝5時まで店開けて。そのころ、コンビニも朝まで空いているカラオケボックスもほとんどなかったから、とにかく常連さんが増えてった。割烹の大将が仕事前に朝ごはん食べに来てくれたりして、その人からダシのことやら料理のことをいろいろ教わったわ。
吉田/確かに、あの頃朝まで空いていたのが、河原町の喫茶店[青山]と[からふね屋]さんぐらいでしたもんね。
えなみさんが店に立たなくなって、私も社会人になり、再会したのが確か2007年くらいでしたよね。寺町通りを自転車で走ってて、「お前、今なにしてんねん」って声掛けられたんですよ。
あの時ちょうど、Leafに出戻るころだったと思います。
えなみ/『関西ウォーカー』や『ぴあ』、『京都Club Fame.』あたりの情報量命な雑誌がなくなり、逆にしっかり地元の情報を精査してる『Leaf』っていいよね、っていう声をよく聞き出したのも、その頃ちゃうかな。
原田/SNSもなかったし、お店に営業にいって「こんにちは」と元気に真面目に熱い気持ちを伝えたら広告を出してもらえた良い時代でした。最盛期は1号で496ページまで膨らんだことも。タウンページ並みの厚さでした。
吉田/そこからまたご縁がつながり、えなみさんが業務提携しているジュエリーの[COHAKU KAIRASHI]のオープン告知のお手伝いをさせていただくようになり、お会いする機会が増えて。
えなみ/デザイナーのカオルさんも原田くんのこと、すごいって褒めてたんよ。他の人が苦手だと思う人のところにも飛び込める、度胸があるって。とにかく一生懸命そう。情熱がありそう。がんばって、、、、そう(笑)。自己演出がうまいことは、営業マンとして必要なスキルですよ。
吉田/その時、原田さんはめちゃくちゃ広告を受注してくれてた。その影で原稿校正のやり取りもすごく工夫してるんやなって見てました。
原田/やっていたのは、原寸の原稿とA4に縮小した原稿、2サイズを用意してお客さんに渡すこと。大きいのは読んでチェックする用、A4サイズはファックス返信用。ほんまちょっとしたことやけど、お客さんが楽になるために、何をどうしたらいいかはよく考えてたかな。あと、好きな人の店や今流行っている店に積極的に営業に行くようにし、そういったお店からどうやって広告をもらうかを常に考えてました。飲食店してる同級生のとこに行くことも、躊躇はなかった。それは『Leaf』が良い商品だと、心底思っていたからです。
吉田/原田さんが広告営業に10軒行くと、8軒はいただけた黄金時代。出稿を断られたら、こんな良い雑誌なのになぜ出稿しないのかな、って原田さんよく言ってましたよね。
えなみ/吉田さんは編集の立場として、何を思って本づくりしてたの?
吉田/あたり前のことですが、取材のアポを入れる前には必ずお店へ行き、そのお店の雰囲気をリサーチする、ですかね。現実よりプラスでもないし、マイナスでもないお店紹介といいますか。楽しい店は楽しく、シックな店はシックに。その場の雰囲気をそのまま伝えたいって思ってました。
私が編集に関わるようになったここ10年で、情報の集め方は激変しました。そのお店で何が食べられるかはネットで調べられる。でも、店の雰囲気をそのまま切り取ることは、なかなかできないので、そこを意識してましたね。どうしても取材となると身構えるところがあるので、あくまでもお店の自然体をどう誌面に落とし込むかですかね。
学生時代にあほみたいに出歩いて、『Leaf』に関わったから、えなみさんともまた会えた。学生さんが多く暮らす京都、大学生の方たちは、存分に遊んでほしいなって思いますね。
えなみ/ネットだと自分の趣味趣向にあった枠の情報ばかり集まるし、冒険が少なくなるやん。雑誌をめくるとまったく興味のなかった情報が目に入ってきて、新しい自分を発見できた。フレンチにまったく興味ないのに気になって、常連になるということがありえたよね。まったく興味のないものを探す方が、人生って楽しい。[えなみ家]に来てくれてた人たちも、新しい世界を知りたくて、冒険したくてやってきてたんやろな。
吉田/そうそう、今回、えなみさんとお話しすることになり、懐かしもうと[えなみ家]の記事探したんですけど、どうしても見つけられなくて。載ったって言ってましたよね?
えなみ/『関西ウォーカー』に『京都Club Fame.』、全国誌では『POPEYE』『Hanako』『週刊大衆』まであらゆる媒体に載ったけど…。あれ…『Leaf』には、載ってへんかったかもしれん…。
原田・吉田/嘘でしょ(大爆笑)。ここは載ってたって記憶のままで。そして笑って終わりましょう(笑)
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