植物紋 ー 桔梗編ー
問答の末第9世となった日忠聖人ゆかりの紋
堀川通を西に入った住宅街。細い通りを歩いていると大きな石碑と立派な山門が見える。ここが今回紹介する[妙蓮寺]。紋は、楓の葉を3つあしらった「三つ葉楓」だ。
妙蓮寺の歴史をひもといてみると、創建は1294年と古く、当時は現在の場所よりも南、五条西洞院にあった。造り酒屋[柳屋]の妙蓮法尼が、日蓮聖人の遺言を受けて京都布教に来ていた日像聖人に帰依。柳屋の邸宅を小さな堂宇に改め、柳寺としたのが妙蓮寺のおこりとされている。天文法華の乱など、さまざまな法難にあって衰退し、たびたび寺地を変えながら、豊臣秀吉の聚楽第造営のために現在地に移転したのが1587年のこと。以来、この西陣の地に450年以上たたずむ法華宗の寺院だ。
三つ葉楓が紋として使われるようになったのは、西陣に移転する前の1450年ごろ。妙蓮寺第8世の日隆聖人と第9世の日忠聖人の問答がそのきっかけとなったのだとか。妙蓮寺執事長の佐野充照さんに教えていただいた。
「日忠聖人は、もともとは天台宗寺門派、三井寺の学頭をしておられました。学頭というのは、僧侶に指導をする校長先生のような立場です。その日忠聖人が日隆聖人と問答をなさって、天台宗から法華宗に改宗。第9世となられました。この日忠聖人のお父様が今出川菊亭公で、今出川家の紋が三つ葉楓であることから、妙蓮寺でも三つ葉楓を使うことになりました」。
建物の瓦に三つ葉楓を探しながら境内を散策
実は、三つ葉楓以外にも妙蓮寺には二つの紋があるそう。「お寺のトップである貫主は、妙蓮寺を再興した日応僧正が伏見宮家と関係が深かったことから『十四裏菊紋』をつけます。また、塔頭では日蓮聖人ゆかりの『鶴丸紋』を使っています。妙蓮寺で三つ葉楓紋を使用するのは本山の行事のときだけです」。
重要なシーンでのみ掲げられる三つ葉楓紋。だが、よく見てみると、建物の瓦にも三つ葉楓紋があしらってある。境内を散策するときには、探しながら歩いてみよう。妙蓮寺の建築物の多くは、1788年、京の町を襲った天明の大火によって消失してしまった。そんななか山門を入ってすぐ右手にある鐘楼は、火の手を逃れた貴重な建物だ。江戸時代初期に建立されたもので、全国的にも数が少ない「袴腰型鐘楼」という様式。大きな屋根を持つ重厚な造りに圧倒されるが、この鐘楼の前には大きな楓の木があり、秋には色づくモミジと、歴史を重ねて力強く立つ鐘楼との見事な競演を堪能できる。
そしてもうひとつ、妙蓮寺ならではの秋の競演はなんと桜。本堂の前にある「御会式桜」は秋から春まで花をつける。「日蓮聖人が亡くなられた日、10月13日に行われる法要が御会式です。そのころから春まで、半年間咲き続けるんです。境内に7本ほどあり、可憐な花を咲かせますよ」と佐野さん。楓の赤と桜のピンク、一度に楽しめる珍しい場所だ。
襖絵や石庭を心静かに眺めて穏やかな秋の日を
さらに見どころは建物のなかにも。奥書院を彩るのは、四季の風景を描いた襖絵。これは、1981年に日本画家・幸野豊一氏により奉納されたもの。秋景色の襖絵には紅葉も描かれていて、いつでも秋の風情を感じられる。この襖絵を制作した幸野豊一氏の祖父は、日本画家の幸野楳嶺。明治時代、京都市立芸術大学の前身である京都画学校の設立に奔走した人物で、竹内栖鳳や上村松園を指導したことでも知られている。
この襖絵の場所に以前配置されていたのが長谷川等伯一派の手による障壁画だ。全部で42画あり、現在は重要文化財の指定を受けているため宝物殿に収蔵され、見ることができるのは、特別公開時のみ。「以前、特別に障壁画を奥書院に配置したことがありました。それはもう華やかで壮観でした」と佐野さんも振り返る。
そして建物に囲まれた、十六羅漢の石庭もゆっくり見たいポイント。桂離宮の造園に関わった妙蓮寺の僧・玉淵坊日首の作と伝えられ、昭和に入って復元された。なかには、豊臣秀吉によって伏見城から移された名石も。佐野さんによると、角度によってお釈迦様を中央にして普賢菩薩と文殊菩薩が配置してあるように見えるとか。モミジ色づく季節、楓にゆかりの妙蓮寺で、庭や襖絵を心静かに眺めて、穏やかな秋の日を過ごしたい。
家柄を表すシンボルとして用いられてきた家紋や、神紋・寺紋と呼ばれる神社や寺院固有の紋章は、平安時代に公家が自分の調度品や持ち物に目印として紋様を付けたことがはじまり。
その種類は大きく分けて現在240以上あり、なかでも一番多いのが花や葉をモチーフにした植物紋で、四季折々の植物に富む。
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