植物紋 ー 桔梗編ー
嵯峨天皇と菊の所縁格式高い門跡寺院の象徴
平安時代のはじめ、嵯峨天皇が離宮嵯峨院を建立したことが前身。後に孫に当たる恒寂親王を開山として876年に寺院となった。平安時代の雅な王朝文化を築かれたと伝わる嵯峨天皇について、旧嵯峨御所大本山大覚寺執行を務める竹原さんにお伺いした。「嵯峨天皇さまは菊の花をたいへん好まれ、9月9日の重陽の節句では観菊の宴を催された記録がございます」。漢詩に優れていらした嵯峨天皇、この宴の折に詠まれた詩も残されているそう。さらに、大覚寺はいけばな嵯峨御流の総司所でもあり、そのキーポイントとなっているのも『嵯峨天皇と菊』であると教えてくださった。
「嵯峨天皇さまは、大沢池の菊ヶ島に自生する菊の花をお生けになられ、『後世、花を賞するもの、宜しく之をもって範とすべし』と仰せになられました。このお言葉が嵯峨天皇さまのご叡慮であり、ご始祖と仰ぐ由縁であります」。そんなふうに、菊との所縁を持つ嵯峨天皇が菊花紋を用いたと想像してしまうが、定着したのはもう少し後の時代。「菊の紋と言えば皇室の御紋章ですよね。その始まりは鎌倉時代の後鳥羽上皇が用いたこととされております。大覚寺では鎌倉時代より後嵯峨天皇、亀山天皇、後宇多天皇と三代続いて住職となられ、幕末期まで代々皇族関係の方が住職を務めてこられました。その故あって菊の御紋を使わせていただいております」。こよなく愛した菊の花が今も寺院の象徴として用いられることに、嵯峨天皇もきっと喜ばれているはず。
設えの随所にさりげなく配された紋、珍しい九曜菊にも注目
大覚寺の寺紋は正式に皇室の御紋として定められている弁の八重菊紋『十六葉八重表菊』。境内で見られる紋スポットをお伺いした。
「お堂のほとんどが、実際に御所などで使われていた建物を移築したということもあり、廊下の欄干や扉のあしらいなど、至るところに見ていただけますよ」。竹原さんが言うように、参拝口正面の式台玄関でもさっそく大きな紋付きの幕が出迎えてくれる。なかでも迫力の紋を掲げる勅使門は、宮家の公式参拝や晴れの法要など特別な時のみ開かれるため近寄ることは出来ないが、厳かな雰囲気が遠目からでも見て取れる。
「後宇多法皇が住職を務められた際は、中央の菊の周りを8つの菊が取り囲む『九曜菊』を紋章とされておりました。式台玄関内に展示しております法皇が使っていらした御には、大覚寺の中では珍しい御紋を見ていただけますよ」。お土産にも、菊花紋の焼印が入った麩せんべいや紋を月に見立ててデザインされた御朱印帳、お守りなど、持って帰れる紋グッズがたくさん。インターネット販売も行っているので、来訪が難しい人もチェックしてみて。
宮中に献上される大覚寺嵯峨菊圧巻の展示イベントは必見
平安時代に菊ヶ島や大沢池のほとりに自生していた菊は今となっては見られないが、門外不出とされる大覚寺嵯峨菊を自に育てているそう。「細い糸状の古代菊で、回廊から鑑賞できるよう2メートルの高さに育てます。ひとつの鉢に3本の菊を植え、下部に七輪、中程に五輪、先端に三輪で『七五三』とし、葉も下から黄色の枯葉、緑、若葉として、四季を表しています。花の色も4種あって、やはり四季を表しています。強い日光や雨風に弱いため、大覚寺嵯峨菊保存会の方が自分の子どもを育てるようにお世話をしてくださっております」。毎年11月1日から30日まで開催する嵯峨菊展では、境内に800鉢もの嵯峨菊が咲き誇る。「鉢植えは宮中に献上しており、各宮家の御宅へもお届けしております。毎年楽しみにしてくださっていてありがたいですね」。
今も皇室とのご縁を繋ぐ大覚寺嵯峨菊。丁寧にご説明くださった竹原さんの話しぶりに、大覚寺嵯峨菊保存会の方の苦労が垣間見える。大切に守られてきた格調の高さを、菊の御紋と合わせて鑑賞したい。
家柄を表すシンボルとして用いられてきた家紋や、神紋・寺紋と呼ばれる神社や寺院固有の紋章は、平安時代に公家が自分の調度品や持ち物に目印として紋様を付けたことがはじまり。
その種類は大きく分けて現在240以上あり、なかでも一番多いのが花や葉をモチーフにした植物紋で、四季折々の植物に富む。
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