[2024]夜桜を満喫!京都から行ける桜ライトアッ...
焼失から再興、御所を感じる建築美
創建は仁和4年(888年)。光孝天皇が建立を発願されるが半ばで崩御。次帝宇多天皇がご意志を引き継ぎ完成させられ、元号から仁和寺となった。譲位後に出家し法皇となられ、この地に住まわれたことから御室御所とも呼ばれる。
「応仁の乱で戦火に巻き込まれ、一山のほとんどが焼失してしまったんです。御本尊などは双ヶ丘の西麓の真光院に運ばれ無事ではありました。」教えてくださったのは、仁和寺執行長であり宗務総長なども兼任する吉田正裕さん。
現在の伽藍のほとんどは江戸時代初期に再興されたもので、中には京都御所から移築された建物も。金堂は紫宸殿を、御影堂は清涼殿を下賜され、御所の面影も一部残っていると言う。
「例えば祈りの場である金堂。檜皮葺きだった屋根をお寺仕様にということで瓦葺きに改修しているため、大きく優美な印象を持っていただけると思います。また、毎朝のお勤めと合わせ、現在金堂ではコロナウィルス終息の法要を1日2回行なっております。お経を唱える声が天井によく響き渡り、さらに祈りが深くなる気がいたします。」
総本山仁和寺執行長/真言宗御室派宗務総長 吉田正裕さん
宮様のために植栽された桜。民衆にも愛され、桜の御寺に
仁和寺といえば御室桜でも名高く、紋のルーツとなっていることが窺えるが、植栽されたのは江戸初期の再興以降だとか。
「御室桜がいつ植えられたのか定かでは無いのですが、1661〜1662年の書物や1683年の境内図からこの頃には桜苑があったことが読み取れます。宮様のためにと植えられた桜が、一般の方にも公開されるようになり、桜のお寺と知られるようになったのでしょうね。今から200年ほど前の江戸後期、29世門跡が残した記録には桜紋がしっかりと記されています」
そんなふうにシンボルとなった桜紋は背景に二つの線が引かれている二引きの桜紋。境内で目にする建物の瓦などに象られた桜紋にその線は入っていない。
「線を入れてしまうと瓦が割れやすいことが理由です。垂幕やお守りなどには正式な紋を入れておりますが、建造物に見られるのは実は御殿内の廊下一箇所だけです。」拝観の際に“隠れ紋”を探してみるのも楽しいかも。
ツツジから桜、青紅葉へ。季節を運ぶ境内の花たち
遅咲きの御室桜は、背丈が低く人の目線に花を咲かせることも特徴で、約230本が一斉に咲き誇る姿は名勝にも指定されている。根を伸ばしにくい土壌の性質によりたまたま低い桜となったと言われていたが、近年の調査で地下2.5mに粘土質の土が均等に埋められていることが分かった。
「宮様が見やすいよう先人が工夫されたのでしょう。まるで大きな盆栽のようにも見えてきます。人々に寄り添うように咲く御室桜はその親しみやすさから愛され、仁和寺とさまざまな人を繋ぐ存在であったようにも思います。」
例年4月中旬に見頃を迎える御室桜だが、境内ではひと足早くツツジも見られる。「コバノミツバツツジと言って通称オムロツツジ。このツツジから御室桜、そして青紅葉と、境内の花がバトンを繋ぐ3月末から5月上旬にかけ、「御室花まつり」を開催しております。この期間は普段公開していない金堂を開けておりますので合わせて御拝観ください」
人々に寄り添いながら次世代に繋ぐ取り組みを
境内を散策していると、アートな彫刻が出現したり、有名アーティストが風景に合わせて創作した音楽を楽しめるヘッドホンが仕掛けられていたり、随所に芸術が散りばめられていることに気づく。
「近所の方々にも楽しんでいただけることが何か出来ないかと思い、ライトアップなど、お寺に馴染みが無い方も参加できるイベントを行なっています。『なんや仁和寺で面白そうなことやってるな、ちょっと行ってみよか』というふうに、気軽にお越しいただける存在でありたいですね。」
多様な芸術とのコラボは吉田さんの発案によるもの。最近ではInstagramやLINE@を活用し、若い世代に向けても情報を配信している。京都でも古い歴史と門跡寺院の経歴を持つ仁和寺だが、御室桜のように人々に寄り添う親しみやすい存在であり続ける。
家柄を表すシンボルとして用いられてきた家紋や、神紋・寺紋と呼ばれる神社や寺院固有の紋章は、平安時代に公家が自分の調度品や持ち物に目印として紋様を付けたことがはじまり。
その種類は現在240以上あり、なかでも一番多いのが花や葉をモチーフにした植物紋で、四季折々の植物に富む。
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