[フォションホテル京都]にあまおうビュッフェとあま...
PR
遠方からの客人をもてなす時、家族でハレの日を祝う時、大切な人と過ごす特別な場面に美味しい食事は不可欠だ。
誰もが喜んでくれる食事処とは? そう考えた時、まず[三嶋亭]のすき焼きが脳裏に浮かぶ京都人は多いだろう。
[三嶋亭]の創業は明治6年。
文明開化によって日本が大きく変わりつつあった時代から名物のすき焼きを京都に根付かせた。そもそもの原点をうかがうと、初代の三嶌兼吉氏が京都から食肉文化の港だった長崎に出向き、そこで覚えたすき焼きの味。都が東京に移った後、京都を復興させたいという町の声に背中を押されて京都に戻り、寺町三条ですき焼き専門店を誕生させた。
大正から昭和初期にかけて、三代目の時代には南側を増築。そのタイミングで調理器具も進化し、炭から電気に一気に変わったそう。また、この三代目、つまり現在の店主・五代目、三嶌太郎さんの祖父はハイカラで豪快な方だったらしく、年一回行われる共進会という牛肉の大会で一・二・三位に選ばれた受賞牛を競り落とし、せりの後は店舗まで生きたまま連れて歩いたというエピソードが伝えられている。「お客さまに最高のものを提供したい」という強い熱意が、舌の肥えた人が多い京都での商売を成功に導いたのだ。
高校生の頃から、休みの日には家業を手伝っていたという三嶌さん。経営者としてさまざまな業務を担いながら、今でも販売所の奥で塊肉に触れ品質を確かめている。「これまで全国の市場を巡り、さまざまな和牛を観察するうち、仕入れるべき和牛のポイントが見えてきました。[三嶋亭]で提供するにふさわしい和牛の特徴は、大きく三つあります。一つ目は脂の質を見極めること。脂自体がやわらかい牛、口に入れると自然と溶け出す融点が低い脂の牛を選んでいます。二つ目はやはり肉質ですね。キメが細かく、赤くしっかり発色した牛を選びます。三つ目は農家さんの愛情の深さ。これもかなり重要なことで、市場で枝肉を見れば、丁寧なブラッシングなど手塩に掛けたかがわかります。良い環境で愛情を持って育てられた和牛はやはり良質なんです。」
すき焼きに適した和牛を追求する一方で、三嶌さんは料理人としての顔も持つ。実は日本料理の勉強を本格的に始めたのは、40代になってから。「実は38歳で大病を患いまして。仕事から離れて立ち止まった時、日本に、京都に、なぜ生まれてきたのか、自分はこのままでいいのか、という気持ちが芽生えたんです。日本の、京都の、すき焼きの専門店に生まれて、もっとやるべきことが自分にはあるはず。そのひとつが日本料理の習得でした。すき焼きの技術はもともと日本料理から来ています。肉を薄く漉くのは日本ならではの技術。すき焼きという名前も、”すいた肉“からきているという説もあります。」
そうして生まれた日本料理とすき焼きを融合させた花コースで、最後に抹茶を提供するのも三嶌さんのアイデアだ。「すき焼きの濃厚な甘さを、苦味でスキッと洗い流してくれる抹茶、すき焼きと抹茶って最高の組み合わせやと思います。茶道は日本料理と深い関係がありますし、感覚や精神性が磨かれるであろうと始めましたが、習えば習うほど私の人生にとっても大切なものに。週一回のお茶のお稽古が、忙しい心を整えてくれます。」
また2018年には、[三嶋亭]から程近い三条柳馬場通り沿いに、町家レストラン[翁樹庵]をひっそりとオープン。[三嶋亭]と行き来しながら、目の行き届く仕事量を見極め、大切な客人だけをもてなしてきた。「こちらでは、熟成黒毛和牛の塊肉を、特注のレンガ製炉釜で焼き上げます。紀州備長炭で焼き上げる和牛は、ダイレクトな旨みが魅力です。」
本店の[三嶋亭]は2021年の1月から改装期間に入る。その間、特別に[翁樹庵]でもすき焼きコースを提供する予定だ。「すき焼き懐石の次に挑戦したかった、フレンチスタイルのレストランも実現することができました。レストランがもう少し軌道にのったら、次は小さなお子様も気軽に味わえるお店にも挑戦したいですね」。どんな逆境も気づきに変えて、溢れるエネルギーを食肉文化に還元する三嶌さん、今後の活躍にも注目していきたい。
五代目店主 三嶌 太郎さん
1965年、京都府生まれ。[三嶋亭]の長男として、15歳から家業の手伝いをはじめる。2018年には、念願だった姉妹店[翁樹庵]を開店
取材件数年間600件以上!京都・滋賀を知り尽くした編集部厳選のお取り寄せサイト。
今なら公式LINEお友達登録で500円OFFクーポン発行中!!